以前の記事の再アップ。
夏休み中、ある研修会での講師の先生の言葉が心に残った。
「今日は素晴らしい実践をたくさん知れましたね。
いいと思ったら、すぐに使ってみることです。
夏休み中なら、二学期にすぐ、です。
すぐやらなかったものは、もうきっと永久にやりません。」
本当に、そうだと思う。
これまで、様々な本や研究会でたくさんの実践を知った。
しかし、残っているものは僅かである。
すぐに実践したものだけである。
知識が技術になるのは、実践を通した場合だけ。
技術が技能にまで高まるのは、何度も実践したものだけである。
すごく感動して「いつかやろう!」と目を輝かせたものがある。
この、「いつか」が来ない。
覚えていないのである。
感動したことは覚えているのだが、何だったか思い出せない。
食べ物と同じで、いつか食べようと思ってしまっていたら、冷蔵校の奥で腐る。
刺身と同じで、鮮度が命である。
「いつか」やろうと思ったら、休日を除いて「五日」以内にやる。
つまり、学んだ次の週までである。
ダジャレでしかないが、日数も妥当で、覚えやすいのではないかと思う。
夏休みの学びを活かせるかは、スタートダッシュ命である。
2014年8月12日火曜日
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