今回は、次の本を読んで考えたことから。
「教師の心に響く55の名言」野口芳宏 著 学陽書房
授業の前に礼をする。
誰に向かってするのか。
子どもの側について考えたことはある。
では教師の側の礼についてはどうか。
「子どもに対してしている」とする。
何と言っても、目の前の子どもがいないと授業にならない。
いてくれるだけで有り難いことである。
また、相手の人格を認めるという意味も含め、礼をしている。
それ以外はどうか。
教師は、子どもにだけ礼をしているのか。
本の中にある言葉を引用すると、
「大事なお子さんをお預かりして一時間話をさせてもらいます」
とある。
つまり、親に礼をしている。
その背後にいる子どもの祖父母にも礼をしている。
そのずっと後ろにある、大きな存在に対して礼をしている。
子どもには、「誰に礼をしているのか」という話をしたことがある。
目の前にいる先生、共に学ぶ仲間、送り出してくれた家族。
加えて算数を学ぶならそれを大成していった数学者も含め、関わる全ての人への感謝。
そういうものに礼をしよう、と話してはいた。
それでも、まだ軽い感じがしていた。
なるほど、原因は自分自身である。
子どもに教える前に、教師自身の礼の深さである。
礼一つをとっても、主体変容、率先垂範。
甘い自分を反省させられた。
2014年3月2日日曜日
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