先日の道徳研究会での学びの続き。
「おおきな木」という絵本がある。
作者はシルヴァスタイン。
アメリカのお話である。
複数の翻訳者と出版社が出している。
翻訳者により、大分文章の感じが違うので、好みのものを選択して欲しい。
少年時代、大好きな「おおきな木」で毎日遊ぶ。
しかし、成長するにつれ、少年は大人になり、だんだん離れていく。
成長にしたがって様々な欲求が出るが、その都度、木は自己を犠牲にしてでも相手を満たしていく。
多くを失い、それでも木は幸せだった、というお話である。
この本を読み聞かせする模擬授業の展開があった。
ここについての協議が、意見が分かれて面白いものとなった。
作品自体に力があるので、本来はあれこれいじらない方が良い。
しかしながら、この作品の良さに気付かない子どももいる。
ここに気付かせるのが指導である、と講師の野口先生の言葉があった。
次の発問を提案された。
「おおきな木と少年、どちらが幸せか。」
ここを中心発問とし、生き方を問う。
少年の生き方を「自己凝視」させることで、自分の中にいる「少年」に気付かせていく。
参加者の先生の中から、
「木はあれでいいのか。
本当に少年のためになっているのか?」
という意見も出た。
「2つの生き方を見せている。」
「木は教育者ではない。親でもない。」
等々、興味深い意見をたくさん聞けた。
自分なりの解を確定して、授業に活用してみたい。
2014年3月6日木曜日
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