2014年3月9日日曜日

自分が感動するもので授業する

道徳の研究会での学びの続き。

複数の価値が集まって価値観が作られる、という話を一週間前に紹介した。
価値は教えられるが、価値観は自分の中で作るものである。
価値に個性はないが、価値観には個性があるともいえる。

だから、同じ作品を見たり読んだりしても、人によって感じ方が異なる。
子どもの頃に読んだ本を見返すと、違った味わいがあるのは、同じ人間でも価値観が変わったからである。

道徳の授業では、自分自身が感動した素材を用いる。
自分が感動しないもので授業をしても、子どもの心に響かない。
教える側が感動していないもので授業した場合、何か虚しさが残る。
それも子どもに伝わる。

もしそれでも子どもに紹介した方が良さそうな話なら、「読むだけ」という手が良い。
力のある資料を、ただ読む。
そこに属する価値観を持っている子どもなら、読むだけで心に響く。

教師が感動できる素材を用いて授業しても、感動しない子どももいる。
そこに感動するような工夫をするのが「教師のウデ」であるとのことだった。
あれども見えずの、見えない価値に気付かせるのが、発問。
そこで価値を見出すと、価値観が変わってくる。

自分が感動する素材を探したら、その価値に気付かせる発問を考えたい。

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