今回は本からの私見。
「規律なき自由は放縦につながり、自由なき規律は専制につながる。」
(「自由と規律」池田潔著 岩波新書 より引用)
イギリスの学校についての本である。
教育基本法では、「規律」ということが重んぜられている。
「規律」というと、どうも堅苦しくて嫌いだという人もいる。
だから流行歌には「規律を壊せ」というような意味合いのものも少なくない。
「アウトロー」である。
一時期多かった中高生の喫煙も、これの一つの表現であるように思う。
この「アウトロー」の傾向が強くなると、世の中が荒れたりする。
盗んだバイクで走り出す人もいる。
廊下でバイクとかもあったらしい。
勢いはあるが、これは、学校としてはよろしくない。
「規律なき自由」=「放縦」、つまり「わがまま」の状態である。
バイクを盗んだり廊下をそれで走ったりというのが「自由」ではないのは明白。
しかし「何でもかんでもルールで縛り付ける」のが「規律」でもない。
「規律」を辞書で引いてみる。
1 人の行為の規準となるもの。のり。おきて。
2 秩序。きまり。
3 規制すること。
「規律が嫌い」という傾向はこの中の3のみを注視している為ではないかと思われる。
自然には、秩序ときまりがある。
地球は一定速度で周り、不規則に休んだりすることは決してない。
えんぴつを手から離したら、引力の法則に従って下に落ちる。
「今日は浮きました」とか「今日は水平方向に進んでみました」ということがあっては、何もかも落ち着かない。
秩序ときまりで、成り立っている。
動物にだって、秩序ときまりがある。
例えば肉食獣とて、やたらに小動物を襲う訳ではない。
腹が減っている時や、必要な時にだけ、襲って食べる。
まして人間には「行為の規準」=「あるべき姿」がある。
それが教育基本法にある「規律」であると解す。
どういう姿がいいのか、描いていなくては近づけない。
「自由と規律」は、相反するものではなく、いわば車の両輪である。
どちらかが欠けると、「放縦」か「専制」になり、曲がった方向に進む。
「自由と規律」は、両方がバランスよく必要である。
2014年3月24日月曜日
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