成長する人は何が違うのか、ということをよく考える。
子どもでも大人でも、自らどんどん成長する人がいる。
成長する人の性質を考えても、案外わからない。
本人に聞いても、本人もわからない。
それが本人にとって「普通」で、自覚がないからである。
普通の人というものは実は存在せず、全ての人はユニークである。
逆思考で「それをこの人がするか」という望ましくないことを考えるとよい。
それをしない人が成長するということである。
ずばり、成長する人は「周りのせいにする」ということが一切見受けられない。
本来、環境要因はものすごく大きいのである。
特にうまくいかないこと、自分の思うようにならないことがある時、どう考えても「あのせいで」と思うのが人情である。
ただ、それが真実でも、うまくいかないことを周りのせいにする人は、確実に伸びない。
なぜなら、自分を正当化すれば、自分を変える必要がないからである。
それは、成長の必然性にさらされないということと同義である。
ちなみに仏教の教えでは、人生は基本的に「苦」であるという。
何だか後ろ向きに聞こえるが、真理はそうではない。
どちらにせよ苦であるのだから、それを受け入れ、生きていくのが自然であるという、究極に前向きな教えである。
苦は、自分のためにあると考えるのを基本にしてみる。
そうすると、そこへの対処を自然と考えることになる。
「克服」は一つの方向性ではあるが、何でも必ずしも克服しないといけない訳ではない。
逆に、受け容れるというのも一つの方向性。
受け容れるの一種だが、「諦める」=「明らかに認める」というのも一つの方向性である。
見方ややり方を変えてみるというのも一つの方向性で、これは成長につながる。
成長するには、自分の認識と行動を変えることである。
うまくいかない相手がいた時に、自分の何を変えるといいか。
うまくいかない仕事が出た時に、自分の何を変えるといいか。
相手が変わってくれたら楽だが、それを求めるのは難しい。
子どもの立場であれば、教えてくれる人が変われば勉強をできるようになる気がする。
また、あの教科が、あのテストがなくなってくれたら、と思う。
実際はなくならない。
だったら、今の自分の勉強の仕方を、自分から変えるしかない。
うまくいかない方法をただがむしゃらに続けるのではなく、勉強の仕方を変える工夫をする。
学習の調整である。
それこそが、今学校で求められている主体的な学習への態度である。
成長する人は、自分から変わろうとする。
子どもに教えるべきことであると同時に、大人の働き方改革においても心がけることである。
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