2020年11月21日土曜日

人間関係がすべて

 前号書いた通り、人間は周りとの関係でペルソナを付け替える。

これは、当然教える側、担任自身にも当てはまる。


ある意味、役割演技である。

新卒という役割と学年主任という役割で、演じ方が変わるのは当然である。

管理職と他が一緒の役割演技では困る。

幅はあれど、それ相応のものが求められる。


学級担任に絞って考える。

学級担任として、望ましいペルソナを出すにはどうするか。

ペルソナは関係性で決定するので、どういう関係性が望ましいかを考える。


これはいつもの逆思考発想で、望ましくないペルソナと、それを出さざるを得ない状況を考えればよい。


例えば、やたらと細かくて強制・統制的なペルソナが出る場合。

担任が、周囲にそれを求められている場合がある。

「もっと厳しくしてくれないと」

「周りに合わせて」

「もっと細かく見てください」

これらの要望が強いと、本人が本来どうこうに関わらず、統制的なペルソナが出やすい。


例えば、暖簾に腕押し、全然やる気がないようなペルソナが出る場合。

「がんばっても無駄」

「言われたことを黙ってやればいい」

「余計なことをしないでください」

こういった声かけや職場風土がある場合、このペルソナが生きやすい。

一生懸命やっても「目立とうとして」「鬱陶しい」と浮くだけである。


平たく言うと、一般的にも望ましくないペルソナが出るのは、その場の人間関係に信頼感がない時である。

出したい自分をペルソナとして出そうとすると、損害を被ると予想される関係である。

子ども同士でも同様だが、安全・安心がベースにない限り、他者貢献より自己防衛を第一に考えるようになる。


総じて、望ましいペルソナが出る場とは、人間関係が良い場、これに尽きる。

互いが他者貢献をしようという風土。

自ら動いた時にそれが認められる風土。

仲間が失敗してもお互い様、挑戦して失敗しても大丈夫と励まし合える場。


担任の元気は子どもから、と思いがちだが、実はその考えでは不十分である。

管理職をはじめ同僚の重要性はかなり高い。

また、保護者が担任をどのように見守ってくれているかも大きい。

どちらも、いちいち細かく口出しされ、批判されるようだと、防衛的なペルソナを付けざるを得ないからである。


つまりは、人間関係が全てである。

良い仲間に恵まれること。

その良い仲間の一人に自分がなろうとすること。

学級担任としての望ましい在り方と子どもへの教育は、その本質においては同様である。

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