タイトルは、アジア太平洋大学学長の出口治明氏の言葉。
(出典:出口治明が語る「リーダーが学ぶべき教養」 Audible)
ちなみにこれは、学生がプログラミング言語を習得するに際しての言葉である。
科学の進歩は、日進月歩。
大学を終えるまでにプログラミング言語を修得しても、それは既に使えなくなっている。
(iPhoneなど、コンピューターは新機種が続々出ることを例に考えるとわかるという。)
一方でリベラルアーツ(「一般教養」と訳されるが正確な定義なし)は、即座に役に立つことはない。
ただ、即座には役立たない広汎な学びが、後々にどこでどう役に立つかはわからない。
「専門馬鹿」にならないためには、必要なことである。
学校教育の世界においてこそ、これは言える。
「テストに出る」や「受験に役立つテクニック」は、即座に使える。
しかしながら、受験後や学校卒業後に使えるかというと、そうでないものが多い。
一方で、テストには出ないが興味をそそられるものもある。
卒業後には、先生が授業中に横道に逸れた時の、どうでもいいような話ばかり覚えているものである。
それで、それが後々に役立たたないかというと、そうとも言い切れない。
長い人生の中で、広汎な知識の何がどこでどう役立つかは、わからないのである。
学校では、テストの点数に直接反映しないものの方が、大切なことが多い。
例えばあいさつができることや礼儀正しいこと、掃除へ真摯に取り組む姿勢などは、テストの点数にはつながらない。
授業中、何のために今学んでいるのかを考えない方が、点数が取れるということも往々にしてある。
公式を違和感なく丸暗記してしまえる人と、納得いくまで考えないと使えない人では、後者の方が点数に結びつくまで時間がかかる。
しかしながら、これらのことの方が、長い目で見ると役立つことが多いのである。
「即座に役立つ」というのは、インスタントである。
促成栽培的な教育を考えると、この方が能率がいいように思えてしまう。
子どもの理解どうこうは置いておいて、小学校でもとにかく知識先行で詰め込む。
点数も取れて、安心という訳である。
ただ、そういう方法で学んだ知識は、剥落しやすい。
短期のテストだと点数に出るが、大きな実力テストだとイマイチ、というのは、この辺りに原因がある。
じっくり時間をかけて学んだことは、本質的に身に付きやすい。
また自らの興味から学んだことは、強く記憶に残る。
よく親からは「〇〇ばかりやっていて心配」という声が出るが、子どもが殊更に何か集中していることがあるなら、万々歳である。
(ちなみにこの○○について、ゲームは無条件には当てはめらないことが多い。
多くのゲームは、作り手が刺激となるエサを次々に用意して提供し続けているからハマるのであり、子ども発の本質的な集中力とは異なる。
脳科学的には「報酬系」というものを刺激し続けて依存を引き起こしている状態である。
「報酬系」をエサとして与えられているだけか、そうではないのか、どういう熱中の仕方をしているかという本質が大事である。)
教育する側にも当てはまる話である。
「こうすれば上手くいく」的なノウハウは、短期で結果が出ることがあるので、満足しやすい。
しかし、そこから本質的なことを学べないのであれば、害悪の方が大きい。
「以前はあれで上手くいった」ということに拘り始めるからである。
「ほめる教育」などは、その典型である。
言葉自体が甘くポジティブで、かつ即座に効果が出るので、良いものだと鵜呑みにしやすい。
しかしこれは間違えて使い続けると、取返しのつかない大やけどになる。
という記事を書いたこともあるが、あれである。
(参考記事:「100点答案」を褒めると勉強嫌いになる プレジデントオンライン)
本質的には、ほめることが大切なのではなく、何をどうほめるか、が大切なのである。
「的確にほめる」というのは、実はかなり難易度が高い手法である。
教育者が学ぶべきは、ノウハウよりも、教養である。
他者を変えようとする研究よりも、自己を変えるための修養である。
バランスではあるが、やはり学校の研修現場を見ると、他者改善のノウハウの方に力を入れているように思えてならない。
すぐに役立つは、すぐに陳腐化する。
心に留めておきたい言葉である。
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