大掃除をすると、思い出すことがある。
よく母が「もっと広い家なら片付く」とぼやいていたことである。
物を置くスペースが足りないから散らかる、という論理である。
そんな訳ない、と子ども心に思っていた。
それも伝えたが、「そんなことない」と、まあ話は平行線である。
これは、何にでも当てはまる。
例えば、家族が増えたとかよく食べるようになったからと、冷蔵庫を買い替える。
冷蔵庫のスペースが広くなったから、これで余裕、という訳である。
しかし、人間の脳は空白を埋めたくなる。
「スペースが空いているからとりあえず置く」という心理である。
これをやると、とりあえずの場所にずっと置くことになる。
つまり、空いているスペースがこの調子で埋まり続ける。
新しい大きな冷蔵庫も、あっという間に埋まる。
新しく引っ越した広い家も、あっという間に散らかる。
要は、余裕がないのはものの広さの問題ではなく、使う人間の問題である。
旅行上手の人の鞄と同じ原理である。
たかが一泊二日の荷物が異常に大きくなるのは、旅慣れていない証である。
この原理は、時間にも適用される。
例えば17時に絶対の予定があると決まっていれば、そこまでに集中して仕事を仕上げる。
やるべき仕事を10の仕事量としたら、16時から1時間あたり10の仕事をこなすものである。
しかし、同じ人が21時まで残業できるとなると、その分薄まる。
5時間で10の仕事をこなせばよいのだから、10÷2で1時間あたり2の仕事量である。
(実際は休憩やおしゃべりをはさむので、時間帯によって0~5ぐらいの幅でかなりバラつきが出る。)
つまり空白は、放っておくと、ごみや不要物で埋まるのである。
時間でも空間でも、必要なことは「先取り」が基本である。
何を言いたいのかというと、行動には区切りが大切ということである。
一定の空間あるいは時間という枠の中で考えることで、人間は行動に移せる。
大晦日までにあれこれを終わらせるのも、新年に一年の目標を決めるのも、本質はこれである。
全ては行動化のための手段である。
自分の時間は、あとどれぐらいあるのか。
令和元年の終わりに、改めて考えてみた次第である。
2019年12月31日火曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
0 件のコメント:
コメントを投稿