子どもが「荒れる」原因について。
子どもが荒れるのは、理由がある。
単純に「負のエネルギー」が一定まで溜まると、暴れ出す。
まあ大人でも同じことである。
負のエネルギーが溜まる状況は
・やりたくないことを我慢してやらされる
・やりたいことを我慢してやれない
・怒りと悲しみ
・理不尽な目に遭う
・意味のわからないことを黙って聞き続ける
・動かずじっとしている
等々たくさんある。
(虐待やハラスメントは、これが揃っている状態である。)
教師があまり直視したくない結論を述べる。
つまり、授業がつまらないと、荒れる。
授業がつまらないとは、具体的にどういうことか。
先に挙げたような場面が続く授業である。
わからないことを延々と我慢して聞く。
椅子にじっと座って耐えて聞く。
授業中にふざけている子が真面目な子どもの邪魔をしていても、全く対応されない。
一生懸命やっても評価されず、不真面目なあの子や、大きな声で目立つあの子ばかりが相手される。
これで、確実に荒れる。
ただし、負のエネルギーは、一気には溜まらない。
溜まってきても、途中で減らすこともできる。
先に挙げたことの逆をやればよい。
つまり
・やりたいことを思い切りやれる
・やりたくないことを無理にやらされない
・笑いと喜び
・正当な評価を得る
・やっていることがよくわかる
・動く
こういったことを取り入れる度に、負のエネルギーが減る。
負のエネルギーが0になると、今度は正のエネルギーが溜まってくる。
そうすると、「落ち着く」(荒れない)から「望ましい行動を積極的にとる」という状態にまでなる。
要は、学級が荒れるには子どもの背景とか色々あるが、授業がつまらないことが大きな原因である。
これは、残念ながら、ほぼ間違いない。
データでも、荒れた学級の子どもに聞くと、口を揃えて「授業がわからない」という。
だから、「専科の先生の時間だけ落ち着く」ということが起き得る。
(逆も起き得る。)
中学校では、普通のことである。
学級経営がベースなのは間違いない。
しかし、授業がどうでもいいかというと、全くそうではない。
(一方で当然、授業研究だけしていてればいいという訳でもない。)
子どもが学校にいる時間において、授業の時間が一番長い。
そう考えると、授業の大切さは、強調してもしきれない。
「授業が適当でも大丈夫」というのは、その「適当」が「無理なく適度」という意味である。
初任者や若い先生方には、やはり授業の準備をしっかりがんばっていただきたいと思う次第である。
2019年12月27日金曜日
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