2019年12月6日金曜日

ルールを守るかは、子どもが決める。

ルール設定の宿命がある。
それは、ルールを作ったからには、徹底することである。
「一応作ったけど守られない」というのは、もはやルールではない。
それは、ルールではなく、単なる合言葉である。

だから、社会における公的ルールには、破った場合に「罰」がつく。
特に、重要なルールについては、破った場合、厳罰になる。

飲酒運転が未だになくならない。
しかしながら、確実に減った。
これは、飲酒運転が、厳罰化されたからである。
教員の場合、飲酒運転は一発で「免職」である。
これを免れることはできない。例外もない。(はずである。)

なぜここまで厳罰化なのかというと、「命」に関わるからである。
命と人権に関わる規定を破った場合、社会においては厳罰である。

ところで、学校内はどうか。
学校は、ある意味で練習の場である。
子どもたちは、「いじめ」のような人権侵害をしても、処罰されない。
ここで正しいことを学んでいかないと、社会でとんでもないことになるということでもある。

逆に言うと、ここで誤学習をさせてはならない。
「いじめをしていたけど大丈夫だった」というような経験をさせて卒業させてはならない。
いじめは、厳しく対処されるべきことである。

一方で、学校は、どんなにひどいことをした場合でも、子どもを罰することはできない。
ただし、「懲戒」を加えることはできる。

以下、学校教育法を引用する。

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学校教育法11条(児童、生徒等の懲戒)
校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、
児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。
ただし、体罰を加えることはできない。
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体罰が絶対に認められないことはこれだけでもわかる。
しかし、この「文部科学大臣の定めるところ」が曖昧である。

以下、やや長いが、学校教育法施行規則より引用する。

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学校教育法施行規則第十三条

1 校長及び教員が児童等に懲戒を加えるに当つては、
児童等の心身の発達に応ずる等教育上必要な配慮をしなければならない。

2 懲戒のうち、退学、停学及び訓告の処分は、
校長(大学にあつては、学長の委任を受けた学部長を含む。)がこれを行う。

3 前項の退学は、(義務教育等の記述の為中略)
次の各号の一に該当する児童等に対して行うことができる。

一 性行不良で改善の見込がないと認められる者
二 学力劣等で成業の見込がないと認められる者
三 正当の理由がなくて出席常でない者
四 学校の秩序を乱し、その他学生又は生徒としての本分に反した者

4 第二項の停学は、学齢児童又は学齢生徒に対しては、行うことができない。
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これを読むと、学級担任が独自に行う懲戒は「1」だけである。
「教育上必要な配慮をする」という義務がある。
つまり、子どもの教育にとって本当にプラスになることを考えた上で、懲戒をせよ、ということである。

要は、懲らしめようとしてもいいが、どうやっても罰することはできないのである。
本当に懲りるレベルの「退学」の懲戒ができるのは、校長ぐらいのものである。
(さらに言うと、公立小中学校で退学というのは、実質無理である。
つまり、法的に懲らしめることはできない。)

私的であるが、結論を述べる。
子どもには「勝てない」宣言をしてしまうことである。

どういうことか。

どんなにルールを作ろうが、立派な言葉を並べようが、子どもたち次第だということである。
子どもたち自身が守ろうとしない限り、守られることはない。

例えば、修学旅行で「途中の食べ歩き禁止」というルールを作るとする。
これを守るかどうかは、本人たちの意識次第である。
破ろうと思えば、余裕で破れる。
見えないようにやるなんて、わけないことである。

そうであるとしたら、そのルールの意義がどれぐらい伝わっているかが肝である。
子どもが「本当にそうだ」と心の底から納得しない限り、守ることはない。
人の心は縛れないからである。
(ここで厳罰があれば、心は縛れなくとも、行動だけは縛れる。学校には無理である。)

守って欲しい。
そのことを、切実に伝えらえるか。
単なる保身とか「例年」のルールなら、もはや無効である。

ルールを守るかは、結局、子どもが決める。
ルールを作る時には、その辺りの意識に気を配りたい。

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