前号に引き続き、「CAP」からの学び。
「告げ口」と「相談」の違いについて教えていた。
告げ口は、相手を困らせようとして行うもの。
相談は、困っている時に行うもの。
こう書くと簡単にきこえるが、この境目は子どもにとっても結構難しい。
例えば、下校時にジュースを買っている子どもがいて、ある子がそれを発見したとする。
単純に懲らしめてやりたくて先生に言うのなら、これは告げ口。
勧善懲悪を楽しむ気持ちがあるからである。
この人のためにならない、これを続けていると、もっと悪いことにつながる気がする。
だから、先生に注意してもらって止めて欲しい、という相手を思いやる願いがある場合。
これは相談。
要は、本人の心がけの問題である。
どういう気持ちで伝えるかである。
先の例なら、たとえ告げ口目的であっても、教師は知った方がいいのかもしれない。
結果的に、これを放置することで、後々良くないことに発展するからである。
だからこの場合、とりあえず迷うなら、伝えるべきである。
ルール違反であり、発展の可能性がある。
嫌な「告げ口」になるかどうかは、心の問題である。
またこれが、いじめ絡みなら、迷わず伝えるべきことである。
少なくとも、伝えることで、やられている子どもを救える可能性が高まる。
一方で、完全に告げ口になる場合もある。
「あなたのことを悪く言ってたよ」とわざわざ悪口の配達をしてくれる人がいる。
これは、「不幸のお届け便」である。
(ちなみに、これはサークル仲間の飯村友和氏が教えてくれた話である。
悪口の郵便屋さんである。)
厳にして慎むべき行為である。
大人でも、SNS等でわざわざ誰か特定の個人の悪口を書き込む人がいるが、同種である。
不満があるなら、対等な立場で、一対一で伝えるべきことである。
身分を明かさず隠れて非難する行為は、どうしようもなく汚い。
キリストの「あなた方の中で罪のない者がこの者に石を投げよ」という言葉の指すところである。
悪口は、要らない。
しかし、助けは要る。
困った時には、とりあえず誰かに相談する。
迷うなら、まずとるべき手段である。
2019年12月10日火曜日
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