親と教師の仕事の一つ。
それは、子どもに「言い訳」を与えてあげることである。
どういうことか。
以前に何度も本や記事で書いたが、例えば鬼ごっこで、氷鬼を行う時。
高学年で男女が混ざるようにするには、一工夫が必要である。
だから「男子を助けた女子を賞賛する(逆も)」ということを教師が行う。
それでも効かない場合は「男子しか女子を助けられない(逆も)」というルールを作る。
こうされると、子どもたちは、そうせざるを得なくなる。
「先生が言ってるから、仕方ない」という理由で、男女が混ざる。
実は、普通にそうやって交流したいような子どもたちも、周りを意識してできないのである。
そこに、言い訳を与える。
今の子どもたちは、SNSでつながっていて、途中で話題を切れない。
「もうこの辺で寝よう」というと「付き合いの悪い奴」ということになる。(面倒な酔っ払いオヤジみたいな世界である。)
あるいは「既読スルー」への報復が怖いのである。
寝不足や生活習慣の乱れの原因の一つである。
ここに、親が言い訳を与える。
「夜9時にはスマホを親に預ける」というルールを作る。
(あるいは、そういうルールがあるということを友人に伝えておく。)
それだけで、もう「仕方ない」ということになる。
言い訳を与えることで、子どもを守れる。
こういうことはたくさんある。
親や教師は、子どもの人間関係にとっての「助かる言い訳」になれる。
その辺りを意識することである。
何でも子どもの自由にするのが、子どもにとって助かるという訳でもないということである。
「人のせいにしない」は基本だが、こういったことは例外。
子どもを守るための言い訳という視点も、親や教師にとっては、大切である。
2019年12月29日日曜日
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