次の本を読んだ。
『ルポ教育虐待 毒親と追いつめられる子どもたち』
おおたとしまさ著 ディスカヴァー携書
本のタイトルからして強烈である。
著者は、家庭教育や受験に興味のある親であれば、聞いたことがある人も多いかもしれない。
現場の教員には絶対に書けない刺激的なタイトルである。
ちなみに帯には次の言葉が書いてある。
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「あなたのため」は呪いの言葉
何が「過度に教育熱心な親」を駆り立てるのか?
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刺激的である。
さて、内容だが、タイトルの刺激以上に、実に丁寧なルポルタージュである。
教育虐待を受けた子どもだけでなく、その兄弟や親までを公正な視点で追っている。
また「子育てベストセラー本」や一般的に良いとされている教育手法への疑問も呈しており、一読の価値がある。
全体を通しての自分なりの気付きがあった。
それは
大人のコンプレックスが全ての虐待を生む
ということである。
大人の側にある種の見栄があるとする。
よく見られたい。
他人より優位に立ちたい。
そのための自己実現の道具として、子どもが利用される。
それが、教育虐待の始まりである。
「しつけ」と称する暴力行為もこれに当てはまる。
自分の思い通りに相手を変えたいから、暴力をふるう。
あるいは、周りから自分のしつけが悪いからと思われるのが嫌だから、子どもに暴力をふるったり圧力をかける。
特に専業主婦の場合、夫がうるさい、姑がうるさい等、周囲の雑音が大きいほど、こうなりやすい傾向があるらしい。
すべて、根本は大人の見栄とコンプレックスである。
私は基本的に、教育に関心が高い親の方がよいと思っている。
子どもを「授かりもの」として、ある種「自分とは別の個人」として捉え、本当の意味で「子どものため」を考えているなら素晴らしい。
しかし、この関心の高さが、見栄や私心によるものだと、激しくマイナスである。
かけ算でマイナスをかけると、絶対値が大きい分だけマイナスが大きくなるということと同じである。
それなら、関心が低い方がマシである。
(これはそのまま、教員にも当てはまる。)
自分は、毒親、毒教師になっていないか。
自分のやってきたことにある程度の自信がある人ほど、一読をおすすめしたい本である。
2019年9月29日日曜日
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