「どうせ俺が悪いんだろ」
何か子ども同士でトラブルがあって事情をきく時に、よく口にする言葉である。
このセリフを口にする時は、目つきもいつもと全く違う。
(大人でも結構あるかもしれない。)
ここまではっきり言ってくれる子どもならわかりやすい。
自分のことをどう思っているのか。
認識としては間違いなく
「みんな自分のことを嫌っている」
「周りは敵」
である。
何が子どもをそうさせたのか。
これは、明らかに、周りの大人である。
子どもが子ども同士で良い悪いとジャッジするということはない。
もっているのは、周囲の大人に与えられた物差しである。
教師にいつも叱られている子どもがいる。
あるいは、教師がいつも指導に困っている子どもがいる。
周りの子どもはそれを見ている。
そして判断する。
「あの子は、先生とみんなを困らせる悪い子。」
本人も判断する。
「自分は悪い子なんだ。」
これが全ての不幸の根源である。
これが、家庭でもなされていることがある。
「○○君は悪い子だから、遊んだらダメよ」
私が子どもの頃から、世間一般でよく言われていたセリフである。
これは、残念ながら今でも変わらないようである。
先生と親に「悪い子」と認定をされた子ども。
「悪い子」確定である。
誰が悪い子をつくったのか。
繰り返すが、周りの大人である。
本当の意味で「悪い子」というのは、本来存在しない。
大人が子どもたちに信じ込ませ、作り上げた存在である。
「私はそんなことをしていない」
と真面目な教師ほど思う。
しかし実は、真面目な教師ほど、これをしてしまっている可能性が高い。
そういうことを一切したことがない教師というのは、地球上に恐らく存在しないのではないかとすら思う。
真面目な教師ほど、問題行動を流さない。
つまり、問題行動を子どもの前で取り上げて指導する場面が多くなる。
もちろん、必要なことであり、善意であるのだが、必然、特定の子どもを叱る場面が増える。
これで子どもが「悪い子」と認識しない方が難しい。
私自身を振り返ってみても、子どもにそういった「誤学習」を数えきれないほどさせてきたと思う。
悪い子を作ったのは、間違いなく、私である。
「悪い子」の認識から脱する手助けをできた子どももいたかもしれないが、多分その方がずっと少数である。
本来「悪い子」は存在しない。
一方で、望ましくない行動は存在する。
何かというと、「侵害行為」である。
いじめも侵害行為の中の一つである。
いじめは、された側が嫌だと思えば成立する。
した方の認識は無関係である。
ここがポイントで「悪い子」にされてしまう子どもは、ここが上手くできない。
決して意地悪ではないのに、相手が嫌がっていることが、さっぱりわからないのである。
双方不幸である。
ここを救えるのが、大人である。
「悪気がないのはわかっている」と認めた上で
「それは相手にとっては嫌なんですよ」と教えてあげることが仕事である。
教諭は、教え諭すのが仕事である。
これは、手間がかかる。
まどろっこしい。
忙しいと、すっとばしたくなる。
だから、一気に叱るという誤った行為になってしまう。
ここが悲劇の始まりである。
そうすれば、「悪い子」認識は本人も周囲も一気に進む。
繰り返せば、それは「信念」になり「常識」になる。
容易に崩すことができなくなる。
教師に、悪気はない。
ただ、自分の担任している子どもたちを守り、助けたいのである。
しかし、クラスの中のたった一人を「犠牲」にしてしまったら、全員にとってマイナスの教育なのである。
「異質の排除」を教えることになる。
もしも「悪い子」が存在するとしたら、それは大人の責任である。
その子どもが悪い、直させようと思っている限り、変わらないかもしれない。
すべては私の責任です。
すべての大人がそう思うことで、子どもは変わる面があるのではないかと思う。
2019年9月21日土曜日
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