かねてより懸念していた、全国学力・学習状況調査の結果が公表された。
またトップがどことか、一番低いのはどこといったところに注目が集まる。
学校現場と子どもにとって、正直害悪以外の何物でもない。
トップの県には変なプライドを植え付け、最下位の県は劣等感をもつ。
それを促すにはうってつけである。(最下位だからと子どもが奮起する訳がない。)
やらされた方に罪はない。
運動会の徒競走と同じで、とにかくよーいどんと走らされて、ゴールで順位を付けられただけである。
その結果にどうこう言われる訳である。
走るのが嫌になること必至である。
ちなみに、どんな理由や妥当性があり、ねらいがあるかということは、何の問題の解決にもならない。
いじめを受けた子どもへ対応する場合と同じである。
問題は、地域格差の意識の拡大が起き、被害者が出ているという事実のみである。
前号のメルマガから紹介している、木村泰子先生も、この全国学力・学習状況調査を話題の一つにしていた。
ちなみに、ここについては、次の対談本にも詳しい。
『タテマエ抜きの教育論: 教育を、現場から本気で変えよう!』木村泰子×菊池省三 小学館
https://www.amazon.co.jp/dp/4098401932
木村先生は文科省の各施策に対して、
「上半身と下半身が捻じれている」と表現していた。
どういうことか。
文科省の「上半身」は、いいことを言っている。
特に「主体的・対話的で深い学び」を最前面に出してきたことは重要だという。
また、教員が生き生きと働いていることが子どもにとって大切だという認識もはっきりと出している。
一方で「下半身」は言葉とは違う動きをしている。
全国学力・学習状況調査の推進。
やることを増やしながら、定時で帰るように指示。
強制帰宅させらても自宅で作業ができるクラウドのような環境整備はされていない。
理念と実際の施策がちぐはぐなのである。
上半身の素晴らしい理念を進めるのであれば、全国学力・学習状況調査を一律に行い、結果を公表することはしないはずである。
かねてより指摘されているように、結果の公表は県や教員、あるいは地域のランキングにつながる。
競争による順位付けというのは、よほど気を付けないと、いじめや差別を生む。
上位となった県がほくほくとして、下位となった県が肩身の狭い思いをするのである。
また「どうすれば上位になるか」と他県が上位県に学びに行って、余計なことを真似するから、なおさら質が悪い。
平等な教育を施す機関である公立小中学校に、偏差値の概念を持ち込むことになる。
騒ぐのは「世間」である。
しかし、騒ぎに発展するとわかって実施する側、騒ぎに反応して行動してしまう側にも問題がある。
誰でも手軽にデータにアクセスできる現代だからこそ、従来の在り方を問う必要があると考える次第である。
2019年9月4日水曜日
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