災害復興支援ボランティア活動での学び。
千葉県各地は台風で大きな被害を受けた。
県内各地でボランティアセンターが立ち上がったので、私も参加させていただいた。
センターにはボランティアとしての心得が書かれており、冒頭に
「ボランティアは、させていただくという精神でのぞみましょう」
というように書いてあった。
この考え方が常識になってきたということである。
そして、参加させていただく度に、この言葉は本当だと実感する。
以下は、そこに関するエピソードである。
例のごとく、私が一緒にいるのは、南相馬へ定期的に活動を続けている「被災地に学ぶ会」のチームの面々である。
チームには見るからに職人の方もいるし、私以外は明らかに「慣れている感じ」の雰囲気の方々である。
そういうチームには、優先的に大変そうなところを回していただける。
今回の災害で多い依頼は「屋根が吹き飛んだから助けて欲しい」というパターンだったようである。
ニュースで流れている通り、ブルーシートを張るような作業である。
私たちの向かった先の家屋は、屋根の一部がなかったのではなかった。
屋根はおろか、二階部分の一部屋が、完全に「青空」である。
屋根の補修ではなく、雨風でめちゃくちゃになったものや、できればそれ以外のものも全て廃棄して欲しいという依頼である。
そして、一人暮らしの高齢者の男性宅である。
それも、奥様を亡くして久しいようである。
家の中がどうなるか。
想像がつくと思う。
(テレビでよく流れるあの状態である。あれは、やらせではなく、現実である。)
正直、私の中では「これは台風どうこう以前の問題では・・・」という思いがあった。
しかし、私のその浅はかな考えを叩き潰すような言葉を、60手前となるチーム最ベテランの方が仰った。
一階の、恐らくご主人の部屋であろう場所に、たくさんの古びたスーツがあった。
それを見て、次のように呟いた。
「きっと、この方は、本当はきちんとした方なんだ。
だけど、きちんとしたくても、きちんとできない状況だったんだよ。
だから、辛いんだよ。」
二階のものは全てめちゃくちゃだったので片っ端から捨てたが、かろうじて、タンスだけは無事だった。
タンスを開けると、中には、女性の洋服がきれいに整頓されて、ハンガーにかかって並んでいた。
まるで、昨日まで誰かが使っていたかのように、その中だけ、時が止まっているかのようだった。
見て一瞬の後、タンスの扉をそっと閉めた。
「ここだけは、中身も大丈夫みたいだから、手をつけないでおきましょう。」
ということで、タンスだけはそのまま残した。
チームの仲間の方のお陰で、自分の考えの浅さ、思慮のなさに気付けた。
人のことなど、本当は何もわからない。
自分の教えている子どもや保護者のことも、わかっているようで、わかっていないのである。
きっと、そのことを教えていただくために、この日は、このお宅に呼ばれたのかもしれない。
人間というのは、複雑である。
師の野口芳宏先生から教わった言葉に
「人間は、無限多面体である」
というものがある。
今回の件は、その意味を改めて考えさせていただける機会であった。
今回も、ボランティアに参加したのは、完全に自分のためである。
「人を助けてあげよう」等という優しい思いからではない。
自分の存在が何か一寸でも役立てられそうなら、自分のために自分を使いたいという思いだけである。
結局、願い通り、そういう結果になった。
自分のためになった訳である。
自分の他人への見方に、大きな誤り、偏りがあることに気付けた。
「誰かの何かをダメだと思ったら、自分の中に何かダメな部分がある」
ということである。
自分の目に、心に、映る全ては、鏡である。
その日の夜は、予報通り大雨が降った。
全国各地から集まってくださった方々の活動が、少しでも誰かの助けになれていたら、いい。
きっと、活動した方々の方の心も救われたと思う。
それだけでも、その日に日本が、世界が少し良くなったのではないかと思う。
2019年9月23日月曜日
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