2019年1月30日水曜日

ルールに進んで従う時

ルールに従うことについて。

自由とルールは両立し、相互に支え合っている関係である。
本メルマガ上ではその立場で一貫して書いている。

ルールに進んで従うのはどんな時か。

一番わかりやすいのは、スポーツの世界である。
試合に出る。
当然、ルールを厳守する。
破れば、退場あるいは失格等になり、楽しむ以前になるからである。

ルールが試合の楽しさを保証する。
つまり、審判がぐずぐずだと、楽しくなくなる。
ここは、ビシッと正しくジャッジしてくれるのが一番楽しい。
そうでないと、ラフプレーをするチームの独壇場になる。
プレーの自由が奪われることになる。

昭和同世代の人にしかわからないかもしれないが、
要はルールが通らない世界とは、「北斗の拳」の世界である。
暴力がすべてで、悪行が横行する世界である。
苦しむのは、力ない民衆、特に子どもとお年寄りである。

ルールをもたらす存在である主人公が「救世主」として活躍する、そんな漫画である。
「アンパンマン」はじめ世のヒーローものの漫画は、すべてその構図である。

さて、ルールを破るものはなぜわざわざ悪人側に回るのか。
その試合に出たくないからである。
ルールが嫌なのではなく、その場そのものが気に入らないのである。

ルールを無視して奪えば、水と食糧が手に入る。
要は、体が貧しいのである。
ルールを無視すれば、みんなが自分に構ってくれる。
要は、心が貧しいのである。

不足感があると、ルールを破る。
そのルール上で上手に生きる術を知らないからである。

逆に、場のルールを使いこなせるものは、大活躍する。
例えば「困っている人を助ける」という方向は、あらゆる場での「鉄板」である。

ルールを守らないのはなぜなのか。
不足感から相手を見ると、見えるものがあるもしれない。

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