ルールに従うことについて。
自由とルールは両立し、相互に支え合っている関係である。
本メルマガ上ではその立場で一貫して書いている。
ルールに進んで従うのはどんな時か。
一番わかりやすいのは、スポーツの世界である。
試合に出る。
当然、ルールを厳守する。
破れば、退場あるいは失格等になり、楽しむ以前になるからである。
ルールが試合の楽しさを保証する。
つまり、審判がぐずぐずだと、楽しくなくなる。
ここは、ビシッと正しくジャッジしてくれるのが一番楽しい。
そうでないと、ラフプレーをするチームの独壇場になる。
プレーの自由が奪われることになる。
昭和同世代の人にしかわからないかもしれないが、
要はルールが通らない世界とは、「北斗の拳」の世界である。
暴力がすべてで、悪行が横行する世界である。
苦しむのは、力ない民衆、特に子どもとお年寄りである。
ルールをもたらす存在である主人公が「救世主」として活躍する、そんな漫画である。
「アンパンマン」はじめ世のヒーローものの漫画は、すべてその構図である。
さて、ルールを破るものはなぜわざわざ悪人側に回るのか。
その試合に出たくないからである。
ルールが嫌なのではなく、その場そのものが気に入らないのである。
ルールを無視して奪えば、水と食糧が手に入る。
要は、体が貧しいのである。
ルールを無視すれば、みんなが自分に構ってくれる。
要は、心が貧しいのである。
不足感があると、ルールを破る。
そのルール上で上手に生きる術を知らないからである。
逆に、場のルールを使いこなせるものは、大活躍する。
例えば「困っている人を助ける」という方向は、あらゆる場での「鉄板」である。
ルールを守らないのはなぜなのか。
不足感から相手を見ると、見えるものがあるもしれない。
2019年1月30日水曜日
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