今日から新年仕事はじめの人もいると思うところで、勤労感謝の日にメルマガ上で書いた記事。
勤労に感謝。
社会に感謝。
当然のことだが、忘れがちである。
時々、店員さんに対して、すごく横柄な人がいる。
(店員さんの方が横柄な場合もある。)
お金を払っているのから当然、という態度である。
(または時給以上のことはしません、という態度である。)
なぜこうなってしまうのか。
きっと、自分が働いている時に、そういう態度をとられているのである。
それは、可哀そうな人である。
勤労時に、人から感謝されていないのである。
だから、自分のために働いてくれている相手に対して、感謝ではなく横柄な態度をとってしまう。
これを是正するトレーニング法を考えた。
何に関してでもいいので、いわゆる「一流」の店やサービスに触れることである。
これをやると、なかなか横柄な態度をとれなくなる。
なぜなのか。
まず、一流のお店は、店員さんがものすごく丁寧に接してくる。
それも、卑屈な態度ではない。
「お客様」へのリスペクトがある。
だから、こちらも丁寧にならざるを得ない。
(一流の品でもそうである。雑に扱えない。)
また、一流のお店では、サービスが学べる。
どういう風にすると相手が嬉しいかがわかる。
ちょっとした心遣いなど、一流の店は全てが違う。
それを、自分の仕事に取り入れていけばよい。
つまりは、そこが自己投資ポイントである。
贅沢するために一流の店に入るのではない。
自分を磨くために入るのである。
それは、自分の仕事のサービスを受ける相手のためでもある。
当然、身の丈より上なので、多少の緊張もある。
それも修行である。
ここで、何をもって「一流」とするかである。
一流は、一位とは違う。
一位は一つしかないが、一流はいくつあってもいい。
一流とは「その他大勢と違う」ということである。
ちなみにずっと前だが、大好きな中谷彰宏先生の講座で「一流塾」というのがあり、興味があってそれに出たことがある。
なるほど、一流は、全てがそれ以外と違う。
一流の作家さんの言うことなので、説得力が違う。
その講座の中で、講師の中谷先生から
「この中で、私は一流ですという人?」という質問があった。
誰も手を挙げなかった。(当然、私も手を挙げられなかった。)
中谷先生いわく
「そこがダメ」
だという。
「私は一流になりたい」という人は、気持ちが悪い。
それは「私はもてたい」という人と同じだという。
そんな人は気持ち悪いし、付き合いたいと思われないという。
だからまずは「私は一流です」と言い切れるようになることが大切だという。
そのためにも、その世界を見る必要がある、ということである。
なるほど、まずは実行が大切である。
本物に触れること。
その上で、一流のサービスの根本・本質・原点を学ぶこと。
ちなみに一流とは、職種や値段とは直接関係がないという。(値段との相関関係はありそうである。)
地元民に愛される名店のような一流もある。
知る人ぞ知る下町の部品工場のような「超一流」もある。
そこにしかできないサービスや技術は、一流の証である。
勤労は、人々の幸せに貢献するものである。
一流の働き手の仲間として、一つでも良い働きをし、互いに感謝をして生きていきたい。
2019年1月7日月曜日
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