作家であり心理学者でもある、早稲田大学名誉教授の加藤諦三先生の言葉。
================
他人のために何かをしてあげれば、
大抵の自分の悩みはたちどころに消える。
================
大学生の頃、教育心理学を専攻していたこともあり、加藤諦三先生の著書はかなりたくさん読んでいる。
読むと視点が変わり、心が落ち着く本が多く、おすすめである。
冒頭に紹介したこの言葉は、ボランティアにも当てはまる。
悩んでいる人ほど、ボランティアは効果てきめんである。
被災地に行けば、自分の悩みがいかに小さいか思い知らされる。
そういう意味でも「被災地に学ぶ会」なのである。
学級でも当てはまる。
大抵、小さなことで怒ったり悩んだりする子どもは、自分のことばかり考えている。
すべてが「自分が自分が」なので、自分を尊重してくれないことに腹を立てたり落ち込んだりする。
これを「オレオレ病」という。
私のオリジナル言葉にしたかったが、残念ながら何十年前から使われている用語である。
これが大人だと、周りから「めんどくさい人」扱いとなる。
会社とそのメンバーは、自分を中心に存在してはくれない。
自分が、会社とそのメンバーのために存在するのである。
それが嫌なら、大人なんだから自分が変わるかその会社を辞めるしかない。
例えば、テストの点を周りと比べて一喜一憂しているようではダメである。
それは、自分のことを自分でやったかどうかだけ。
テストの点が100点だろうが0点だろうが、周りへの貢献度はない。
あくまで、自分にとっての価値である。
喜びも悔しさも自分の中でかみしめれば良い。
授業中に、仲間に教えてあげたり補助してあげたりしたなら別。
これは、周りへの貢献度がある。
周りへの価値がある。
称賛される行為である。
社会に出た時、自分のことが自分でできるというのは、最低要件である。
社会で、会社で重宝されるのは、周りへの貢献度の高い人である。
子どもを、どういう大人に育てたいのか。
そう考えると、清掃指導一つとっても、教育観が出る。
それには、大人の側が「観を磨く」のがより大切である。
あらゆるボランティアへの参加は、それを考える良い機会になる。
2017年7月21日金曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
0 件のコメント:
コメントを投稿