2017年7月16日日曜日

みんなでやれば、できる。

前回の続き。

今回も鍵山秀三郎先生ご提供の美味しいお弁当をいただき、午後の作業へ。
次は、田んぼの側溝掘り&草刈りである。
現地に行ってみると、完全に埋まっていて、どこが側溝なのかさっぱりわからない状態。
数十mということだが、水が流れないで溜まっているために土地も沼のようになっており、作業は難しそうである。
加えて、震災前からある長い小屋が邪魔で、人が入っての作業スペースの確保も困難。
機械ではできず、人の手を借りてしかできない仕事である。

とにかく、探しながら掘ってみることにした。
この泥が、思いの外、重い。
本来流れるはずの水をたっぷり含んでいる。
そのせいで足場が悪い上に、植物の根がばっちり絡んで、スコップが入らない&持ち上がらない。
とにかく腰が痛い。
土手を押さえていたはずのネットも倒れて絡んでいる。
おまけに、濁った水を含んだ、独特の臭いがあり、三重苦、四重苦である。
一緒にやっていた会の主催者の村田先生も「これは、今回少しでも進めて、次の団体にリレーかな・・・」とのこと。
私もひいひい言いながら作業を進めつつ、「これは、今日中には終わらんな・・・」と半ば諦めかけていた。
しかし、「とにかく、今、できることをする」と念じつつ、ひたすら続けた。

すると、ちょうど「これは無理だぁ~」とかぶつくさ言いかけてきた時に、依頼主の方が様子を見にきてくださった。
今日ボランティアに入ってもらえると思っていなかったらしく、急いで駆けつけてくれたようである。
俄然、やる気が出る。
みんなでがんがん進めていったら、何か終わりそうな雰囲気が出てきた。
両側から掘り進めてきた側溝の道が、合流するのが見えてきた。
そして、道がつながった。
水が「ザア~~~」と音を立てて流れる。
みんな、満面の笑みである。
依頼主の方も、とても喜んだ表情を見せてくださった。

依頼主さんの感謝の言葉とともに、差し入れの飲み物をいただく。
とにかく道をつなげたくて、ひたすら作業をしていたため、喉がカラカラである。
(というより、手も顔も泥まみれで、作業途中で飲めない状態だった。)
葡萄ジュースを選んで、真っ青な空を仰いで一気に飲んだ。
最高にうまい。
耳を澄ますと、水の流れる音が聞こえる。
やった甲斐があるというものである。

今回、一番の学んだこと。
それは、無理だと思う状況、先が見えない状況でも、「みんなで力を合わせると、できる」ということ。
その「みんな」が集まるには、核となる部分に正しい志があること。
たった一人の正しい行為には、自然と多くの「フォロワー」がつく。

無理だとか言ってる暇があったら、体を動かして、少しでも前に進めること。
できた時の達成感は、次へのエネルギーになる。
まだまだあるが、そんなことを感じた次第である。

結局、人様のためにやっていたはずのことが、すべて自分のためになる。
前回述べたように、人間の遺伝子は利他的で利己的、利己的で利他的である。

主催者の村田先生は、小さく会を立ち上げて、結果的に数百人もの仲間を巻き込んできた。
被災地の方だけでなく、助ける側にとっても、生きる希望になっている。
影響の輪で言えば、数千人規模である。
そして、帰りのバスの中で、仲間と今日のことについて語り合う姿が、本当に嬉しそうである。
利他的な行為が、結局自分自身にも返っている。

被災地の復興は、先が見えない。
しかし、見えなくても多くの人の手で少しずつ進めれば、確実に見える時が来る。
私の大好きな、上杉鷹山の次の言葉で今号を締める。
「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」
「被災地に学ぶ会」で自分ができることは本当に少ないが、この会がある限り、これからもここで学び続けたい。

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