子どもが何かしらの問題行動を起こす。
例えば低学年で「お友達を叩いてしまった」でも何でもいい。
その時、どう対応するかは無限にあるが、かなり多いのが次の対応。
「なぜ(または『どうして』)叩いちゃったの?」(WHY)
気持ちをきこうという点ではいいのだが、これは答えにくい。
どう答えていいかわからず、黙ることになる。
または色々考えてうだうだ話し始めるが、要領を得ない。
「幼稚園の頃にいじわるをされた」というような無理矢理感のある理由をこじつける場合もある。
尋ねた側は恐らく「何があったの?」(WHAT)がわかればいいのだが、「なぜ」だと、行動の根本的な原因を問うことになる。
「なぜ廊下を走ったの?」も同様で、高学年なら色々理由はつけるが、本音は
「走りたかったから走った」のである。
そんなことより、尋ねるべきは
「次はどうしたらいい?」(HOW)
である。
繰り返されるのが問題なのだから、次にうまくいく方法を準備することが肝要である。
例え行動の原因が明確にわかっても、解決には至らない。
これは、実習生への指導にもいえる。
例えば指導案や指導の様子を見て、何か不備があったとする。
(その勉強をしに来ているのだから、不備は当たり前である。)
ここで「なぜ?」をあまりしつこく聞いてもしょうがない。
それよりも「どうしたい」「どうしたら」という視点で尋ねてみる。
答えは、それぞれ自分自身の中にある。
上から目線で「指導しよう」などと思うよりも、実習生自身が頭の中から引っ張り出すことである。
そんなことを意識していると、自分自身にも問いが返ってくる。
どうしたら、自分は実習担当として、実習生に良い影響を与えられるか。
結局、背中で見せるしかないというのが答えである。
不備を指摘すればするほど、自分のことのようで反省の日々である。
2016年10月29日土曜日
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