前号のインクルーシブ教育の話の続き。
本人の困り感に共感するのは難しい。
外から見て明らかに困難が確認できるものは、配慮されやすい。
しかし、内面的なものは目に見えない。
下手すると「単なるわがまま」と混同されてしまうのが辛いところである。
ここに「合理的配慮」が必要である。
簡単に言うと、
「AさんにやってもBさんにはやらない」というようなことである。
Aさんには必要なことだから配慮する。
Bさんには必要ないことだから配慮しない。
講師の先生はこれを「横並びからの脱却」と表現していた。
一律に同じ指導・支援をしないということである。
ただ、合理的である反面、何でもかんでも個の要求通りにはできないという面もある。
つまりは、自己理解と他者理解の両方が必要ということであると解釈した。
Aさんにはこれが自力ではできない。
だから、助ける必要がある。
しかし、Aさんにとって必要な支援が、自分には提供できない。
だから、他の人の助けが要る。
それは、周りの子どもかもしれないし、同僚かもしれないし、外部機関の人かもしれない。
そういう思考ができないと、無闇に「頑張る」という方向になってしまう。
頑張ってもダメなことだから合理的配慮が必要なのである。
(なお、よく頑張れる人は、他者にも頑張ることを強要する傾向があるので、注意が必要である。)
相手に合理的配慮が必要なのと同様、自分にも必要である。
自分にできることは何なのかを理解する。
それを考えるために、自分にできないことは何なのかを理解する。
コインの裏表と同じで、二つでワンセットである。
自分と相手、それぞれできないことを見極め、できることに全力を尽くしたい。
2016年10月23日日曜日
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