今最も「旬」なアクティブ・ラーニングの話。
旬というか、ブームというか、言葉が迷走しているというか、独り歩きしているというか。
とにかく、話題のキーワードである。
で、要は何なのか。
講演等で多くの方が語るのが「これをしたからアクティブ・ラーニング」ということは断じてない、ということ。
例を挙げる。
先日、地元の国語の大家である校長先生の話を聞く機会を得た。
やはり、同様のことを仰っていた。
この校長先生が何かやると、地域の何百人の先生がみんな真似する。
影響力が半端じゃなくある。
今回は、国語の授業に関して、実験的な取り組みがあった。
あくまで実験的なのである。
しかし、参観する限りでは、かなりうまくいっていた。
だからこそ、それを危惧して
「みなさん、真似しないでいいですからね。」
ということだった。
ここが非常に重要なポイントである。
この校長先生のした授業は、文科省の「アクティブ・ラーニング」の定義に当てはまるものであった。
発見学習、問題解決学習であり、教室内でのグループ・ディスカッション、グループ・ワークが活動に含まれていた。
「だから、これがアクティブ・ラーニング」となると、これが危ない。
これは、この先生がした授業に対し、子どもが「結果的に」能動的な協働学習をしたということである。
そのまんま同じ授業を自分の教室でしたところで、同じ結果が得られるとは限らない。
つまり、授業者が子どもたちを「アクティブ・ラーニングの状態」にさせた訳である。
決して「グループ・ワークをしたからアクティブ・ラーニング」という訳ではない。
アクティブ・ラーニングは方法論ではないということを、強く肝に銘じる必要がある。
以前にも書いたが、「アクティブ・ラーニングは、状態」というのが私の解釈である。
同じ授業を受けている目の前の子どもの中で、その状態の子どもとそうでない子どもが混在しているはずである。
子ども一人一人は、そんな単純な存在ではない。
子どもを十把一絡げに捉えるのは、雑であり、失礼である。
次号も、もう少しこのテーマで考えていく。
2016年3月13日日曜日
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