閏年の2月の最終日である。
真面目な話が続いていたので、今日はエッセイ。
私は、元々エッセイが好きである。
どうでもいいような日常の些細な出来事について、あれこれ解釈して書いてある文章が好きだ。
さくらももことか原田宗典とか、リリー・フランキーとかの文章も大好きである。
というわけで、たまにはエッセイ。
思い出のラーメン屋の話。
大分昔の話である。
(本当にどうでもいい話なので、お忙しい方は読まれずにいただきたい。)
あれは2月の寒い日の昼だった。
寒くて遠出するのが嫌で、アパートの近くの一度も行ったことのないラーメン屋に入った。
いわゆる普通の店構え。ザ・ラーメン屋。
赤い暖簾に白字で「ラーメン」と書いてある、あれである。
普通感が強すぎて、一度も行ったことがなかったので、敢えてのチャレンジである。
中に入ると、客が私の他にも数人いた。
カウンター越しに店のオヤジに「タンタン麺」を頼んだ。
寒いので、体の温まる辛い物が食べたかったのである。
(実際は汗をかいて体が冷えるとか色々な説があるが、ここでは割愛。)
待つこと数分、オヤジがどんぶりを持ってきた。
「ヘイ、タンタン麺お待ち!」
目の間に置かれたのは、澄んだスープに、肉野菜炒めがのっているラーメン。
「これは・・・」
どう見ても、タンメン(湯麺)である。
読んで字の如く、湯麺である。
私は戸惑った。
私は、間違いなく「タンタン麺(担々麺)」を頼んだ。
オヤジも、間違いなく「タンタン麺お待ち!」と言った。
つまり、この店では、これが「タンタン麺」なのである。
「観」がどうこうの問題ではない。
これは、明らかに「タン麺」である。
しかし、この店の支配者であるオヤジが「タンタン麺」だという。
赤いはずのスープが、白(むしろ無色透明)なのである。
まさに「黒いカラスを白」の世界である。
初来店で完全アウェーの私は、腹を括って、その「タンタン麺」と命名された「タン麺」をすすった。
・・・薄い。
とにかく、味が薄いのである。
お湯に少し塩が入っている感じ。
絶妙なマズさ。
私は、あまりマズいとかは言わないで食べる質だが、これは不味い。
食べきることもできず、かといって今更文句をつけることもできず、早々にお金を支払って店を出た。
いうなれば、惨敗。
正しいことを言えなかった悔しさと後悔の念が押し寄せる。
寒風に吹きさらされながら、家路についた。
思い出深いラーメン屋である。
正義は、勝つとは限らない。
いや、正義とは、その場の支配者によるものなのである。
そんなことを、あのラーメン屋のオヤジが教えてくれたのかもしれない。
2016年2月29日月曜日
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