成人の日に書いた記事。
成人ということに対し、どんな価値観を持って新成人は臨むのだろうか。
吉田松陰の作った次の和歌がある。
今日よりぞ 幼心を打ち捨てて 人と成りにし 道を踏めかし
(松蔭神社のH.P.より引用。)
http://www.shoin-jinja.jp/blog/?cat=4&paged=4
吉田松陰が26歳の時、いとこである玉木彦介の元服を祝して贈った和歌だという。
「今日からは、親にすがって甘えるような心を振り切り、ひとり立ちした人間になるために、力強く歩んで行きなさい。」
という意味だという。
成人の日というのは、ひとり立ちした人間としての自覚を持ち、志を立てる日であるともいえる。
美しく着飾るのも、その門出を祝う周囲の人々の思いあってこそである。
大いに華やかにやってくれていい。
ただ、親をはじめとするここまで育ててくれた人々への感謝の気持ちを忘れずに立って欲しい。
一時期に比べ、成人式の荒れは急激に少なくなったという。
「今時の若者」は、意外としっかりしているのである。
さて、とっくの昔に「成人」し終えた私たち「大人」はどうだろうか。
ちなみに、小学館の『類語例解辞典』によると、「成人」とは、単に成年に達した人全般をさす。
一方「大人」とは、社会的、身体的、精神的に成熟した一人前の人間をさす。
つまり、「成人」してもすぐに「大人」になる訳ではないということである。
自分を省みた時、甘えを捨てているだろうか。
人としての道を力強く歩んでいるだろうか。
志を持っているだろうか。
人として成っているだろうか。
甚だ疑問である。
子どもは大人の背中を見て育つ。
口でうまいことを言っても、何をやっているかが全てである。
「成人式」は新成人のためだけでなく、我々「大人」が自分自身を振り返る機会にもしたい。
2016年2月3日水曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
0 件のコメント:
コメントを投稿