今回も雑感だが、自分の中で深められそうな気のしているテーマについて。
教育がうまくいかない状況を考える。
ポイントは、教える側と教わる側のニーズの違いである。
親や教師(以下「大人」と括る)が子どもに何か教えたりやらせたりしようとする。
こちらにはねらいや要求がある。
一方、子どもの方はやりたい訳でもない、または大人が思うほどは求めてないとする。
このニーズのギャップのある状態は、うまくいかない。
大人が子どもに口にする言葉No.1の「早くしなさい!」は、もろにここに当てはまる。
大人の側には色々と都合があるので、早くしてくれないと困る。
一方、子どもは別に早くやりたいともやる必要があるとも思っていない。
または、やろうとしているが、できない。
よって「何できないの!」「きちんとやりなさい!」も、同種のうまくいかない言葉である。
逆のこともある。
子どもはすごくやりたい、欲しい、できるようになりたい。
しかし、大人の側のニーズはほどほど、またはあまりない。
まあ、可能なら満たしてあげたい、または満たすこともできるが、どちらでもいいと思っている。
これは、結構うまくいく。
この状態だと、子ども自身が考えて工夫をする。
大人はアドバイスを求められるので、一応「いいんじゃないかな」「じゃ、もう少しこうしたら?」と答える。
子どもは更にがんばる。工夫を続ける。
「好きこそものの上手なれ」というのは、ある意味当然といえる。
子どもは、大好きなことなら限りなく熱中し、やめてとお願いしてもやめてくれない。
要は、大人と子どもの間のニーズに変化を起こすことである。
ある行動へのニーズを
大人>子ども から、
大人=子ども にして、
大人<子ども に移行すればよい。
これは、経済に似ている。
供給>需要で、差が大きすぎると、モノが溢れて買い手がいない状態で、売り手としては困る。
大安売りで、価値を感じにくくなる。
供給=需要だと、バランスが良い安定状態である。
供給<需要では、高く買ってもらえる状態であるが、これもほどほどが良い。
あまりに供給量が少ないと、ニーズに応えらず、不満を抱かれる。
需要が子どもの「やりたい」、供給が大人の「やらせたい」と考えると、ぴったり一致する。
子どもの「やりたい」が高まったところで、初めて「できるようにさせる技術」が光る。
要はやる気スイッチを入れることが先、できるようにさせる技術が後ということである。
子どものやる気はあるのに、教えることができない状態を「技量不足」と呼ぶ。
教える技術はあるのに、子どもが嫌々やっている状態を「空回り」と呼ぶ。
両者バランスよくある状態が望ましい。
「何できちんとできないの!?」の答えは単純明快で、
「あなたが思うほど私はやりたくないからです。」
または
「あなたがうまく教える技術がないからです。」
となる。
整理する。
色々書いたが、最重要ポイントは一つ。
子どものニーズを大人のニーズに上回らせること。
アクティブ・ラーニングの状態とはそういうことである。
今後、どうすればそうなるのかをテーマに考えていく。
2016年2月5日金曜日
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