学級担任は、喜怒哀楽の感情が揺れる機会が多い。
担任する子どもの変化に一喜一憂する日々が続く。
いいことばかりならいいが、そうはいかない。
子どもは、こちらの思うようには動いてくれないし成長してくれない。
我が子ですらままならないのだから、まして他人の子どもが思うようになる訳がない。
我が子の良くない行動は見過ごせない。
担任している子どもの良くない行動も見過ごせない。
担任している子ども以外でももちろん注意するが、気持ちの入り方がかなり異なる。
担任しているということは、その場にいる間のその子の責任者である。
全員の健やかな成長を願い、無視できない存在となり、どんな嫌なことがあっても見捨てられない。
(この点で、「不登校」という状態は、一番難しい。関われる時間が圧倒的に短くなる。)
子どもたちお互いも、偶然同じクラスになった仲間ではあるが、全員で一つの共同体である。
助け合わないとやっていけないし、誰かにいいことがあったら一緒に喜ぶし、互いのトラブルも起きる。
その点で、家族に近いものがある。
本物の家族との決定的な違いは、期間限定であること。
親は一生親だし、兄弟は一生兄弟だが、クラスは一年間で解散する。
限られた期間だからこそ、必死にやる。
一方で、本物の親のように、一生の責任を負うことはできない以上、関わり方にも限界がある。
一生の責任を負う覚悟の保護者の意向は、絶対に無視できない。
限られた時間の中ではあるが、子どもを預かれる有り難さ。
どんなことも、期間や枠があるからがんばれる。
短い時間の「家族との時間」だと思って、辛いことも楽しいことも感謝して過ごさせてもらいたい。
2015年1月29日木曜日
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