指導の伝わり方について。
指導や説得は「受け手9割」のところがあり、相手との普段の関係にかなりの部分がかかっている。
これは、内容の良否に関わらない。
一般的な社会においての「上司のいうことを部下が聞くか」ということの問題と同じである。
「自分のためを思って言ってくれている」と、伝わるかどうかは、受け手との人間関係次第。
こちらがどんなに愛情を持っていようが、相手の「心のコップ」がひっくり返っていては、逆効果である。
この辺りの見極めが難しい。
関係には色々あって、
A 1言って1伝わる相手
B 1言って10伝わる相手
C 10言って1伝わる相手
がいる。
ABCの3種類ではなく、幅がある。
Aが「素直にそのまま受け止めてくれる」タイプ
Bが「効き過ぎる」タイプ
Cが「伝わりにくい」タイプ
である。
しかも厄介なことに、相手との関係によっては、このパターンをマイナスにして受ける人もいる。
つまりAの逆で「1言ってマイナス1伝わる相手」もいる。
言えば言うほど、マイナス。
万が一この関係になっている可能性がありそうな子どもに対する時は、怒るアプローチは、厳禁である。
やればやるほど、ものすごいマイナスを被る。
「心のコップを上向きにする」という作業に、普段から余念なく地道に取り組むしかない。
(だから「学級崩壊」の状態で担任に生徒指導を頑張らせるのは、かなり酷なことである。
生徒指導担当や教務など、なるべく関係性の深い他の人間が代わりに入って行う必要がある。)
つまり、指導は相手との関係性に全てかかっているということである。
だからこそ「学級経営、これで絶対うまくいく!」という必勝法は、無いと断言できる。
できることは「様々な見方、考え方、手法を知り、人間性を広げ、選択肢を増やす」ということだけである。
だから教える立場にある人間は、常に自省しながら学び続け自己変革をし続ける必要があり、そこには一生終わりがない。
「もうこれで大丈夫」と思った時が、一番危険な状態である。
私も、人間関係で失敗している時がある。
後で振り返って、申し訳なかったと後悔することもたくさんある。
だからこそ、謙虚さを忘れずに、自省して学び続けたい。
自信が過ぎて驕った時は、転落の予兆である。
2015年1月8日木曜日
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