ルールについての考え方を一つ。
校内のルールの徹底は大切。
しかしそれに対しても、基本的な考え方がある。
それは「学校のルールが守られない」という現象を、学年差なしの一律で捉えないことである。
低学年は「そもそもルール自体を分かっていない」という状態が多い。
だから、きちんと教え諭すことが大切になる。
中学年は「ルールは分かっているが、気がつくと破っている」という状態。
だから、気付かせる指導、自制心を持たせる指導が大切になる。
高学年は「ルールはよくわかっているけど破る」という状態。
意図的であり、あえて破った理由や、変な話「ねらい」がある。
言い方は悪いが「確信犯」であることが多い。
ルールを守るべき直接的な理由は重々分かっているので、それ以外の多角的な視点での指導が大切になる。
例えば「廊下を走る」という現象に対し、それぞれの一般傾向は次のようであると感じる。
低学年(特に一年生)は「走りたいから走った」「走っちゃダメだったの?」→一度きちんと教える必要あり
二年生から中学年は「ふざけっこしていたらつい走っていた」→自制心を持つ訓練(繰り返し)が必要
高学年は「きっと誰にもぶつからないし、先生も見ていないから大丈夫だと思って走った」→内面が変わる指導が必要
あくまで全体傾向ではあるが、私見としては大体そういう感じである。
一律に「ルールは守りなさい」ではなく、学年や個人の理解度に合わせた指導が大切である。
また、大人が小さなルールを少しずつ破っている状態なら、特に高学年への指導は無駄だと思ってよい。
大人の前で表面的に良くなったように見えても、内面は変わっていない。
これは学校・家庭・地域社会のあらゆる大人に対して当てはまる。
子どもたちは年齢に関わらず、意外と小さなことまでよく見ている。
何も言わないが「大人だって」と思われている可能性が高い。
話が二つに割れた。
まとめとしては、ルールの指導は
「理解度に合わせた指導」と「率先垂範・鏡の法則」である。
2015年1月13日火曜日
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