自分のクラスで授業研があった。
「詩の花束作り」という実践。
地元の国語の指導主事の先生の講座を受けて、真似してアレンジしたものをやってみようという次第である。
それに、校内の先生方のアドバイスをいただいて、実践してみる。
簡単に言うと、たくさん詩を読んで読んで読み浸った後、好きな詩や自作の詩を鑑賞し合うという単元である。
「クラス会議」の手法も取り入れて、話し合いの場面も設定する。
今日やるので、昨日連絡帳を書く時、子どもに伝えた。
「5時間目、他の先生方が見に来るから、みんなは気にしなくていいけど、一応伝えておくね。
「ぼくたちを見に来るの?」
「うーん、どちらかというと、先生を見に来る感じかな」
「じゃあ、先生の授業参観なの??」
「ん~、まあ、そういうことになるかな。」
言われてなるほどと思った。
通常の「授業参観」とは大分訳が違う。
授業参観は子どもにとってまさに自分を見てもらう時間。
主役は自分である。
一方で、授業研は、何だかはよくわからないが、「自分たち」が見られる時間。
授業研は、嬉しい子どももいる一方で、内向的な子どもにとっては、かなり「いい迷惑かも」しれない。
(取り囲まれて自分のノートをのぞき込まれて、ふむふむ言いながら何かメモされていたら、かなり気になる。)
授業研は子ども対象の研究ではあるが、指導の研究であり、教師の側の研修である。
こちらの都合である。
付き合ってくれる子どもに感謝しながら、授業にあたりたい。
それにしても「先生の授業参観なの??」とは、さすが低学年の子ども。
その率直な表現に感心しきりである。
2014年12月7日日曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
0 件のコメント:
コメントを投稿