2014年12月26日金曜日

本質を見抜く視点 水泳「で」教える

以下、西村健吾先生からのメールの引用文の続きである。
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僕の最も重視する水泳「で」教えるねらいは、ずばり、
○自分に勝つ心。特に最も苦しい場面(最後の5m)でこそ、歯を食いしばって、弱い自分に打ち勝つ強い心
です。

水泳はなんとも不思議なスポーツです。
たとえば、陸上の100mではがんばってもその伸び幅は0.何秒の世界です。
ところが、その半分しかないたった50mなのにもかかわらず、タイムは平気で5秒、10秒、へたをすれば30秒近く縮まることだってあります。
しかも、最も苦しい場面でどう泳いだかによって、その伸び幅が断然ちがってくるのです。
これだけ自分の取り組みや、心の持ち様を如実に反映するものって、他にあるでしょうか?
そしてもっと重要なことは、
「苦しいとき(非常時)にがんばれるか否かが、常時のそれよりも、結果にてきめんに反映される。」

この、子ども達が人生の困難を乗り越えるために必要な心の持ち様は、最も重要であることのように思えるのに、それを教えられる場面って、学校生活の中ではなかなかないと思うのです。

だからこそ僕は、「水泳は学級経営だ」という隠れスローガンのもと、まずは子ども達に、
「自分に勝つことの重要性」「苦しい時にこそがんばることの重要性」を、この水泳を通して心と体で感じ取らせます。
そして、ひとたび水泳が終わったら、
「ほら、水泳で学んだことは、水泳のタイムのようにははっきりとは目に見えないだけで、勉強も同じ。生活も同じ。」
と意図的に転移させていきます。
水泳学習を終えた子ども達が、単に泳力が伸びただけの状態にならないことは、容易にご想像いただけるのではないでしょうか。

手前味噌で恐縮ですが、僕の教えた組立体操や学習発表会での子ども達が、あのような状態になるのも、それまでのこうした布石があってのこと。
要するに、春先から秋にかけて、一つ一つの活動を、次なる活動に転移させるように、ずうっと仕掛けております。
これはかなりの自信をもって断言できます。
ところが水泳「を」教える視点しかない場合は、まさに打ち上げ花火…。
きっとこうはならないのではないでしょうか。
(引用は以上。以下、松尾が後略)
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さすが、水泳の県内トップ選手を多数輩出している指導者の言葉だけに、説得力がある。

『水泳「を」教える視点しかない場合は、まさに打ち上げ花火』
という一文は、何にも当てはまる。
研究授業など、特にそうなりがちなので要注意である。
(授業研が終わってからさっぱり、というのでは、やはり寂しい・・・。)
何を教えようが、それそのものを教えるに留まっていては、発展性がない。
「次なる活動に転移」を意識しているか。

以前にも紹介したが「ごんぎつねが終わった」という表現のおかしさと一緒である。
「ごんぎつね」という教材を通して、何の力をつけたのか。
そして、それは次にどう生きていくのか。
さらに、これからの人生の上でどう役立つのか。

そういう先見性を持って指導に当たるのと、その場だけで教えるのでは、子どもにつく力も雲泥の差である。
目的は、本質は何なのか。
常に意識して指導に当たりたい。

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