2014年12月15日月曜日

本質を見抜く視点 「立体的なねらい」について

前回、西村健吾先生の講座での学びを紹介した。
再度紹介すると、この先生である。
↓「学級通信の極意」西村健吾著(明治図書)
http://www.meijitosho.co.jp/eduzine/interview/?id=20140156

西村先生とのやりとりで、次のようなことを書いた。
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「立体的なねらい」について(松尾英明)

私としては、「立体的なねらい」について、例を挙げると次のように考えています。
1.算数で「九九の習得」を指導しながら(表)
2.「口に出して繰り返し覚える方法」を習得し
3.「努力はすぐに結果に結びつくとは限らない」「しかし努力は実を結ぶ」という経験を獲得し
4.「(○○さんは)できる・できない」という壁を壊し、
5.「できる感動・喜び」を経験し、かつ仲間ができる喜びを共有し、
6.「人は一度覚えてもすぐ忘れる」という原則を体感し、
・・・・
というイメージです。
1は表で、いわゆる「教材のねらい」と「教科のねらい」といった面が強いです。
1以外は全て「裏」のねらいになります。
まあ、角度を変えてみたところで、見えるのは3面ぐらいです。
立体を真正面から見た時と同じで、「見えないけれどそれが支えている」というイメージです。
いうなれば、まさに豆腐の形です。
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この後も、かなりの量の文章のやりとりがあった。
これを読んだメルマガ読者の方々からも、様々な意見をいただいた。
結論から言うと、ねらいは子どもの実態に応じてそれぞれ。
何に主眼を置くかも、必ずこれとはいえない。
ただ、例えば九九を教えるなら「九九の習得」は外せない。
ここを抜きには語れない、というのが大方共通する見解だった。
また、九九を教えることだけに終始しない、というのも大方の共通点である。

教える側にとっても、ねらいや視点は様々であると学んだ。

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