前号の続き。
素材研究の大切さについて。
素材研究は、一見余計な作業である。
極端な話、やらなくても授業できる。
教科書と「赤本(指導書)」を見て授業することもできる。
これで指導案を書くこともできる。
ではやらないでよいではないかというと、そうとも言い切れない。
「必要」と「欲しい」は別物である。
読者のみなさんは、どちらが大切だろうか。
どちらに、よりお金や労力をかけるだろうか。
「必要」の方が、上に見える。
しかし、人間にとって、実際は「欲しい」の方が、上位である。
例を挙げると、車好きな人は、車にものすごいお金をかける。
車に興味の無い人にとっては、別にタイヤのホイールが標準だろうがアルミだろうが変わらない気もする。
どちらでも「走る」という必要性からすると、全く同じである。
しかし「欲しい」から、お金をかける。
車好きにとって、標準ホイールのタイヤで走るなど、言語道断なのである。
別の例だと、服を買う時に「あなた同じ物持ってるじゃない」と周りに言われるのも同様。
同じように見えるものでも、やはり違うのである。
よく考えると「必要」はないかもしれないが、「欲しい」ので、お金をかける。
より理想に近づけたいのである。
「必要最低限の授業」であれば、何もしないでできるかもしれない。
しかし、理想を持って授業をする人にとっては、「欲しい姿」がある。
そのために、素材研究である。
授業で実際に使う部分は一部かもしれないが、周辺部分を持って授業に臨める。
そうすれば、指導案の流れと関係ない様々な意見にも対応できる。
授業自体を楽しめる。
少し無理してでも時間をとって、素材研究はしておきたい。
2014年9月1日月曜日
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