メルマガからちょっと時期がずれてしまったが、夏休みの自由研究の話。
子どもに宿題として出した方が多いことと思う。
地域の審査会等もあるので、必須課題にしているかもしれない。
この自由研究、実際やってみると、かなり大変である。
1年生などは、字を習いたての状態で、文章を書く経験も少ない。
論文にまとめるというのは、一部の例外を除き、自力では厳しい。
材料集めだけで数日間、作るのも1日がかりかそれ以上である。
選択なのだから、工作にいけばよいものをと思う。
しかし、工作も自力でやるとなると、これまた大変。
工具やら材料やらがたくさん必要になる。
わざわざ手作り風になる「自由研究・工作キット」なるものも販売されているのも頷ける。
そんな世の親子の悲鳴、ニーズに応えて「夏休みの自由研究教室」もたくさんある。
ここで、何のための夏休みの宿題なのか、と考える。
「夏休みにダラダラしないため」という人もいるが、宿題があろうがなかろうがダラダラする人はダラダラする。
その考えなら「ダラダラする子どもを苦しめ、自責の念を負わせるため」の方がまだ真実に近い。
逆に、自律ができる子どもは、課題を自分で見つけて、与えられずともどんどんやる。
大半の子どもは「宿題があるからやる」というのが本音である。
一体、夏休みの宿題の存在意義は、何なのだろうか。
昔からあるので続けているが、これがないと、どんなデメリットがあるのだろうか。
「自由研究・工作」は、なぜ必要なのか。
この辺りを、考えていきたい。
(長くなったので次号へ続く)
2014年9月13日土曜日
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