先月行った「やる気スイッチセミナー」で、素材研究について扱った。
しかしながら時間が足りず、「詳しくは次回!」ということになってしまった。
(そもそも、前半の「ゲーム」ワークで楽しくなりすぎて時間をオーバーした。
セミナーだけでなく、授業でもよくあるパターンである。)
今回の本の中にも、素材研究の大切さは書いてある。
この大切さは、なかなか伝わりにくい。
そんな折、たまたま関連する記事を見付けた。
大体、次のような内容である。
「オリジナリティ(独創性)の語源は、オリジン(起源)。
つまり、独創性を発揮させるためには、素材そのものを深く理解していること。
何より基礎基本が大切。」
気にしていると「心のフィルタ」に引っかかるものである。
授業で当てはめて考えてみる。
「授業名人」の授業を見る。
実に単純明快で、すぐにでもやれそうである。
実際に自分でもやってみる。
全然うまくいかない。
こういうことはよくある。
授業で見える部分は、いうなれば氷山の一角。
簡単にやっているように見えて、見えない部分がとても大きい。
素材研究の深さが違うのである。
そうすると、対応の厚みが違う。
子どもの言動の「予想外」がぐっと減るので、本当に価値のある発言に気付ける。
また、表面的な理解であることも見抜けるので、浅いと思ったらつっこんだ対応ができる。
わざと間違えるとか、意見が割れる発問をするとか、高度な対応ができる。
それらの発言を、最終的に束ねることもできる。
意見をかき混ぜるのも固めるのも自在にできる。
逆に素材研究が浅いと、「予想外」の発言にひっかき回される。
または、「宝石の原石」の発言の価値に気付けず、捨ててしまう。
本線から全く外れられない、まさに指導案通りの授業にしかならない。
(それにすら至らないことも多い。)
家なら、土台(基礎)。
木なら、根っこ。
何でも、見えない部分が見える部分をがっしり支えている。
素材研究は、授業の「基礎」づくりである。
素晴らしい実践に憧れるなら、見えない泥臭い部分をこそ真似したい。
2014年9月3日水曜日
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