応援指導シリーズとして、昨年度の記事を修正再録。
「指導とは、ちょっとの無理をさせ続けること。」
例の如く、野口芳宏先生の言葉である。
指導とは、まさにここにあると思う。
現状維持は楽。
負荷をかけ続けて少し無理させるから伸びる。
極端なことを言うと、普通にできることは指導する意味がない。
わざわざ導かなくてもできる。
下のレベルだけに合わせると、ほとんどの子どもにとって意味のない指導になる。
「底上げ」というのなら、底の上にある全部を上げないといけない。
上のレベルを基本にして、下まで含めて全体を引っ張り上げるのが指導である。
例えば、日直のスピーチ。
自分の普段通りのしゃべり方で話していては、よく聞こえない。
教室で全体に向かって話すのだから、無理が必要である。
(野口氏はこれを「公的話法」という言葉で教えている。)
「不自然でよい」のである。
自然ではいけない。
無理をするから、伸びるのである。
応援での声がよく出ない子どもは、無理できてないのである。
普通に出そうとしている。
応援などは「パフォーマンス」なのだから、演技が必要だ。
これは意外と難しい。
教師が前に立ってオーバーに演技することで、殻が破れることもある。
相手に少し無理を強いるのだから、教師はその倍は無理をする。
応援係はここが最重要になる。
全校の前で手本として立つのだから、恥ずかしがったりしていてはアウト。
応援団長が自ら「バカ」になって大げさにパフォーマンスをする必要がある。
山口の福山憲市先生の言葉だが「バカ」が大切である。
「バカ」の読み方は「馬力(ばりき)」であり、「心力」である。(「バ」の字を崩して「心」に変化させる。)
エネルギーと心がないとできない。
これを、団長ができるようになるために、先に教師が応援係への指導でやる。
教師が「バカ」になって、まず応援係にエネルギーを入れる。
応援係全員がこの「バカ」になれれば、ものすごい力を発揮する。
自分のキャラとかはあるが、そこは置いておく。
それは「自然」であるが、殻を破れない。
まずは、教師が無理をしてでもバカになる。
自分が無理をしてから、初めて子どもにも無理を求めることができる。
指導全般の鉄則である。
2014年6月6日金曜日
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