子ども、特に小さい子どもを相手にしていると、感じることがある。
それは、
「やらない」のか「やれない」のか。
言い換えると、
「単に甘えている」のか「本当に困っている」のか。
この見極めが大切だと思っている。
何年前だかに、遠足での記事を書いた。
1年生と6年生のペア遠足。
遠足の復路で疲れた1年生が「おんぶして」と6年生のペアに頼む。
おんぶしてあげるべきか、という記事である。
遠足のねらいからすれば、特別な事情がない限り歩かせるべきである。
「ペアの仲を深める」ためにおんぶするという人もいるかもしれない。
しかし、状況にもよるが、その多くは「信頼」というより「依存」であるように感じる。
「信頼」と「依存」は紙一重である。
教師は、子どもに「信頼」されるのはいいが「依存」されてはならない。
「子どもを育てる」=「人格の完成を目指す」のが教師の仕事である。
やれることをやらせないで余計な手を出せば、子どもの成長の機会を逃す。
子どもは、大人のようにうまくやれないかもしれない。
しかし、うまくやれないから、危ないからという理由でやらせなければ、いつまでたっても成長しない。
口を開けて餌を待つ雛鳥のまま大きくなられては、社会の役に立つ人間を育てたことにはならない。
応援指導然り。
学習指導然り。
給食指導然り。
掃除指導然り。
それは、やらないのかやれないのか。
教師の仕事は、その判断の連続である。
これは、自分の哲学に関わる部分だと思う。
相手のことを思うからこそ、相手の成長を願い、できることへの甘えは許さない。
優しさの中に厳しさを、厳しさの中に優しさを常に意識したい。
2014年6月23日月曜日
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