2021年6月25日金曜日

「おこだでませんように」を考える

 先日、小学館の編集者の方から、低学年のおすすめの絵本について尋ねられた。

今月の『『教育技術小一・二』6・7月合併号

https://www.shogakukan.co.jp/magazines/series/053000

に載っているものがそれである。


いくつか挙げたが、誌面の関係で精選された。

そうしたら、私のおすすめのいくつかは、他の人もおすすめしていたとわかった。

例えば、次の本である。


『おこだでませんように』 くすのきしげのり・作 石井聖岳・絵  小学館(2008)

https://www.amazon.co.jp/dp/4097263293


七夕近くの時期に特におすすめの本である。

いつも怒られている子どもの七夕の願いが「おこだでませんように」。

切実である。

読むと心が温かくなり、かつ、大人にとっては、ちくりと(あるいは、ぐさりと)刺さる本である。


さて、この「おこだでませんように」は、あるやんちゃすぎる子どもの願いとして書かれている。

しかし、これは、子ども、大人を問わず、ほとんどの人に当てはまる願いではないのかと思ってしまった。


みんな、一生懸命がんばって生きている。

そして、失敗はしたくない。

なぜか。

怒られるからである。

大人たちも、小さい頃から現在まで、刷り込まれている感情である。


今はSNS全盛で、ミスをしたら怒られるどころではない。

見ず知らずの人たちからまでも叩かれ、蔑まれ、潰される時代である。

(逆に、共感さえ生めれば、世界中を味方にできるチャンスでもある。)


時代の流れも手伝って、多くの人の最上位の願いが「人から怒られないこと」となる。


人によっては

「暴力を振るわれませんように」

とか

「嫌味を言われませんように」

とかに変化する。

社会でも家庭でも同じである。


平穏無事はいいことだが、攻撃されないことを人生の目的に生きるというのは、人間的というより野性的である。


周囲に怒られない生き方。

それは、周囲に溶け込む生き方であればいいが、周囲に媚びる生き方にもなり得る。

決して、飛び出てはいけない。

決められたことを相手に求められた通りに遂行すれば、怒られない。


しかしながら、それは感情のないロボットの超得意分野である。

プログラミングである。

人間がプログラミングを学ぶのはいいが、人間が他者にプログラミングされていいものかどうか。


じゃあ怒る側が怒らなければいいじゃないかということになる。

(ちなみに、怒られた側も実は同じぐらいかそれ以上に怒っている。)

しかしながら、一切怒らないというのは難しい。


特に集団の指導的立場や責任者の立場にあると、尚更である。

アンガーマネジメントという用語が出てくるぐらい、世界中の人々の関心事である。

感情自体は自然発生するものであり、扱いを学べるが、多くの場合、発生させないことは無理である。


怒ってしまう原因の方を考える必要がある。

多くの場合「こうであるべき」に忠実だから、怒る。

それは、常識やルールである。

(あなたは私に従うべき、というのもそれである。)


どうでもいい常識やルールを見直さないと、周囲は怒りの種だらけである。

学校でいえば、ルールが多くなればなるほど、ルール破りの機会は多くなる。

そう考えると、今の感染症対策の学校下で、教員と児童双方のストレスが溜まらない方がおかしい。


ルールが激増したのだから、既存のルールを見直して大幅に減らす必要がある。

今までのルールに上乗せしたら、潰れるのは火を見るよりも明らかである。


怒られないことが最高の目的になってしまう現状。

この根本を見直すべき時に来ているように思えてならない。

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