学級担任をしていると、問題がたくさん起きる。
これは当然で、同じ空間に35人も人間がいて交流して、何も起きないという方がむしろ不自然である。
一方で、実はいいこともたくさん起きている。
ちょっとした助け合いだったり、見えない親切な行為であったり。
何度も書いているが、悪い部分ばかりが目立って目に入る。
小さなことでも、悪いことは目につく。
一方、地味だけどいいことは入ってこない。
いいことで入ってくるのは、大きないいことだけである。
ニュースと同じである。
悪い方ばっかり些細なことから取り上げられて、いいことは、よっぽどなことでない限りスルー。
これを逆にする。
これは、意識してやっとできるようになる。
ネガティブは人間の本能であり、ポジティブは理性だからである。
生物は、放っておいても、悪いことが目につくようにできている。
ポジティブだとすぐに捕食されたり危険な目に遭ってしまう。
危険の多い自然界で生き残るには、ネガティブであることが大切である。
しかし、人間の世界はそうではない。
通常、命の危険にさらされることはない。
だから、本能的に備わっているネガティブスイッチは意図的に切っておかないと、都合が悪いことになる。
逆に、いいことを見つけるポジティブな目をもつ必要がある。
そうすると、当たり前のことに感謝が湧く。
給食一つとっても、当然の権利のように食い散らかすのか、感謝の念をもって頂くかで全く変わる。
子どもを見る時も、意図的によいところを探す。
むしろ、少しのよくないところはスルーする時があってもいい。
本能とは真逆である。
そもそも教育自体が、子どもを自然のままにしておかないための場である。
放っておけば、本能のままに無秩序になること必至である。
自治的な学級、のびのびと自由な学級というのは、集団の子どもたちが理性的である。
理性で本能のもつ強大なパワーを上手にコントロールできるから、力を発揮できるともいえる。
いいところを意図して見つけるという理性の力を身に付けること。
これには訓練が必要である。
まず子どもに対して見つける前に、自分の毎日からである。
当たり前のことに感謝できるようになると、子どものしていることの素晴らしさに気付きやすくなる。
逆に、自分の毎日に文句ばかり言っていると、悪いことばかりが目につくようになる。
自分の周りを理性的に見つめてみれば、すべてが与えられたもので、自分の力で獲得したものなど何一つないことに気付かされる。
全てが「授かりもの」「頂きもの」である。
(しかし、それをすぐに忘れてしまう。)
学級での毎日を楽しく元気に過ごしたいのなら、子どもに求める前に自分からである。
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