2021年6月5日土曜日

がんばる自分を肯定する

 今回は完全に現役教師の読者に向けて。


昨今、「楽しく」「自分らしく」「肩の力を抜いて」

といったことが推奨されている。

それ自体はどれもいいことなのかもしれないが、「がんばる」の地位が下がりすぎているようにも感じる。


「がんばらなくていい」

これは、マイナスから0にするための、治療薬的な言葉である。

つまり、相手が病んでいる状態の時には、これである。

病気の人の場合、がんばって働くよりも、休んで治療に専念してもらうべきである。


勤勉は、成長や発展の基本である。

現在ワクチンが開発されてやっと一部に出回り始めたのも、この勤勉の賜物である。

医療関係者の方々が、通常以上に勤勉に努めてくれたお陰で、やっとこの状態が保てたといえる。

たとえ自分はがんばっていなくても、他の人にがんばってもらった結果といえる。


学校の教師の仕事に限って言えば、がんばらなくて成り立つようなことはほとんどない。

あらゆることが見通しと準備と対応の連続である。

がんばらなくても立派にやりとげられるような仕事内容なら、こんなに病気になったり苦労したりしている人は少ないはずである。


勤勉に、一生懸命やることが基本である。

ただ、工夫もして一生懸命努力しているのに思うような成果が出ず、自分が馬鹿馬鹿しくなることがある。

この時に自分自身を疑ってしまうことが、辛さの一番の原因ではないかと経験上感じるのである。


つまり、がんばりすぎて病気になったというより、がんばりを認めてもらえないと感じる状況が病気を生む。

無理難題を押し付けておいて「あなたの工夫やがんばりが足りないせい」が常套句という人も世の中にはいる。

何でも承諾して引き受けるのではなく、できないことはできないとはっきり断る勇気をもつ方のがんばりも必要である。


がんばって真面目にやっている自分を肯定すること。

そして自己否定に走らないこと。

がんばりの問題ではなく、そもそも根本的に無理や無駄があるのではないかと疑うこと。


そもそも、気合で乗り越えようとするのが必ずしもいいこととは限らない。

やれば高確率で危険な大ケガをするとわかっていることを中断するのも勇気の一つである。

(それでも無理にやるのは勇気ではなく単なる「蛮勇」である。)


思うような結果が出ずに、勇気をくじかれかけている今の教師に必要なのは、こういう当たり前の考え方なのではないかと思う。

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