現役のしんどい現場教員の方々へしたい話。
「先生がもっとがんばれ」という立場の方にとっては、不快になるかもしれないので、先にお伝えしておく。
次の本から。
『実践経営哲学』 松下幸之助著 PHP文庫
https://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-57562-9
この本の中に「共存共栄に徹すること」という項目がある。
競争があること自体は好ましいこととし、適正利潤というものを大切にしている。
しかしながら、「過当競争」には警笛を鳴らしている。
以下、本文より一部引用する。
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(引用開始)
そうした適正利潤を得られないような過当な競争が続けば、業務全体が疲弊してきて、場合によっては倒れるところも出てくる。
それは概して資本力の小さい中小企業などで、資本力のある大企業ほどもちこたえられるから、そこにいわゆる資本の横暴といった姿も生まれてこよう。
(引用終了)
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この後「経営適格者であっても資本力がなければ倒されてしまう」と述べられている。
そして最終的には国家・社会にとってマイナスであるため、大企業ほど共存共栄への責任が重いとしめくくっている。
これを読んで、全国で次々と倒れてしまう学校教員の方々のことを考えた。
恐らく、原理は同じである。
労働基準法により、国民に適正な労働時間というのが定められている。
この点について,教員、特に中学校教員が世界ワースト1であることは広く知られているところである。
行き過ぎた部活動などは、この「過当競争」の亜流ともいえる。
(企業の利潤の代わりに、大会成績などの実績が求められる。)
問題は、倒れてしまう人が「不適格」であるかのような誤解をされることである。
そうではなくて、単に倒れなかった人は、たまたま倒れなかっただけと考える。
ものすごく体力があるとか、メンタルが強いとか、指導技術が高いとか、たまたま環境がよいとか、要員は色々ある。
この人たちは、運よく倒れずに結果を出せたので、日が当たり認められる。
しかしそうではなかった人たちのがんばりを認めないと、最終的には長期的に見て大きなマイナスになる。
すごく愛情や情熱があっても、生来体が弱くて体力がない人もいる。
指導技術自体が適正でも、子育てや介護など、様々な理由で時間がない人もいる。
また、きちんとやっているけれど、荒れている学校や学年など、児童生徒の集団がかなり手ごわく、しんどいということもある。
「適正」という観点でがんばっていたら、「過剰」を求められるので、倒れる。
何とか持ちこたえてしまっていると、「ならばもう少し」と、さらにどんどん積み荷を載せられてしまう。
学校現場そのものが、この状態である。
実際、その人が倒れるぎりぎりまで、負荷が強くなる。
他がすでに倒れており、積み荷をこれ以上載せられないからである。
しかし、さらに多くの運ぶべき積み荷が現場にはおろされる。
悪循環である。
一番考えたいのは、あなたが背負っている荷物が、実は重過ぎるのではないかということ。
どうせ倒れるまで積まれるのだから、適正な箇所で音を上げる必要がある。
中には、人よりかなりたくさん背負っても、走っていける人もいる。
しかし、自分がそうでなくてはならないということはない。
一人ががんばりすぎるのではなく、チームでカバーし合うべきものである。
がんばらないことが問題視される風潮があるが、がんばりすぎることの方がはるかに問題である。
自分を鍛えるために、挑戦として気合を入れて無理に背負う時期があってもいい。
しかしどう考えても背負えないと思える時は、正直に背負えないと伝えることも、大切である。
死ぬまで働くよりも、生きることの方がより大切である。
がんばることより、無理なことは無理ときちんと伝える勇気が必要である。
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