次の本からの気付き。
『愛と祈りで子どもは育つ』
渡辺和子 著 PHP文庫(2017)
https://www.amazon.co.jp/dp/4569767672
この本の中に「自由学園」創設者の羽仁もと子さんの「自由」についての言葉が紹介されている。
以下、引用する。
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(引用開始)
「あなたがたには、脱いだはき物を揃える自由があります」というのです。
それは、「揃えない自由もある」ということなのです。
どちらがより良い生き方なのか、脱ぎっ放しにするほうか、揃えるほうか、そのより良いほうを考えて、選ぶということなのです。
日々の生活の中での小さな自由の行使が、実は大切なのです。
「自分らしさ」を作るのは、このような小さな自由の行使の積み重ねなのです。
(引用終了)
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それをするのが、自由の行使であるという自覚。
意識しないとなかなか難しい。
日常のすべてが「当たり前」になっているからである。
クラス会議ではよく「掃除を真面目にしない人がいる」ということが議題に上がる。
要するに、真面目にやって欲しいという要望である。
何年生の学級でも、必ず出る。
これはなかなか考えどころである。
話し合いをしても大抵なかなか着地点が定まらないが、毎回一つだけいえることがある。
それは、真面目にやっている人の中に、進んでやっている人がいるという点である。
つまり、誰かが見ているからとか、得とか損とか関係なく、やる人はやるという点である。
やらねばならないからやる、という自主性に基づいてやる人もいる。
しかし、やる方がよいからやるという主体性に基づいて取り組んでいる人もいる。
つまり「はき物を揃える自由」である。
どちらが自分にとってより良い生き方なのか。
それを主体的に選びとり、行動する。
それこそが、自由である。
やらされてやるのは、意味がないとは言わないが、効果の方向が全く変わってくる。
掃除などは、特にここが大きく分かれるところである。
学校以外の生活でも、やらない人はやらないし、やる人はやる。
かなり本人の選択次第である。
他人がどうかはあまりこだわらずに、やると自分で決めた人は、気にせずやる。
掃除に限らず、勉強や仕事や趣味やボランティア活動、あらゆることにいえる自由の考え方ではないかと思う。
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