2020年10月8日木曜日

テレビメディアの害悪

ご存知の方もいるかもしれないが、昨日テレビ番組にてコメント依頼をされて放映された。

テレビ番組とは「情報」を発信する媒体である。

つまりは、感情の入った報せ。

意図があり加工されたものである。


私が依頼された内容は以下の通りである。


===============

(引用開始)

企画内容 特集「なぜ? 学校の掃除 掃除機でなくホウキなの?(仮)」

(中略)


▼なぜ掃除機ではなくホウキを使うの?

▼なぜ海外みたいに専門スタッフが掃除するのではなく生徒が掃除するの?

上記2つの質問に、現役教員の立場から

学校教育上での掃除の狙い、目的などについてお教え頂ければと思います。

(引用終了)

===============


「(仮)」が最も姑息なところで、実際に放映される際には


「学校に掃除機の導入 あり?なし?」


となっていた。

一見似ているようで、全く違う内容であることに注意してほしい。

そして私は、あたかも「なし」の立場でコメントする人であるかのように放映された。


上記依頼内容(▼)と併せて見比べてもらえばわかるが、質的に全く異なる内容である。

元々の依頼内容はつまり「日本における掃除の教育的意義とその歴史について」である。

私はここについて、荒れていた子どもが清掃を通して変わっていった姿など、1時間近く熱く語ったのである。

しかし、そんな素敵エピソードは全て不要だったらしい。

完全に相手の都合よく加工された形で、切り取って使われた。


元々の依頼に対し「掃除機の導入はありかなしか」というのは、テーマのレベルが低すぎる。

そんなの、両方うまく使えばいいというだけの話である。

というより、私もインタビューの中で「人手が足りない学校は使えば良い」とはっきりコメントしている。

何なら、現任校でも十年前に勤務していた学校でも、カーペットの部屋など必要な箇所ではとっくに導入している。


ほうきと掃除機の二者択一なぞ、馬鹿馬鹿しくて議論のテーマにすらならない。

「給食は全て米にすべきかパンにすべきか」と同じくらい無意味なテーマである。

小学生に討論を教えるために練習として扱う

「毒にも薬にもならない、どっちでもどうでもいい議題」

である。


とてもいい質問だと思って、間隙を縫って真摯に誠実に答えただけに、大変遺憾である。

学校現場で頑張っている全国の仲間たちの一助にと思いやったのが、裏目である。

真面目に頑張っている子どもたちと先生方に大変失礼な内容にされており、大変憤慨している。


今回の最大の学びは、メディアの教育への害悪である。

テレビの教育問題へのコメンテーターは、大概全く学校現場に携わっていない人たちだけである。

制作者も同様である。

今回の番組でも、現場で必死に何年も清掃指導をしてきたという人は、当然皆無である。

それら「業界人」や「芸能人」の意見が「正しい意見」として世間に通っている限り、メディアは教育にとって害悪でしかない。


また、メディアの意図に踊らされているのは視聴者だけではない。

実は出演者たちも、ずれたものを提示されて、それに対してコメントしているのである。

そう考えると、番組制作者に全ての人が踊らされているといえる。


唯一、清掃の意義は自分の手を汚して周りをきれいにすること、というところだけは放映された。

(勝手に「奉仕の心」などという口にもしてないテロップが入ったのは癪であるが。)

自分を汚して周りをきれいにすることで、自分を役立たせると言ったのである。

それは、結果的に、本物の自信につながる。


テレビをはじめとするメディアはこの真逆である。

自分の手を汚さずに事を行う。

しかも周りを更に汚す。


私は、自分の手が汚れてでも、この教育の世界をきれいにしたいと強く願っている。

それは奉仕の心からではなく、自分の命を最大限に輝かせたいからである。


根本・本質・原点という、師の教えに従い、これからも精進していきたい。

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