かの松下幸之助氏は
「周りのみんなが自分より偉くみえるから、ぼくは素直に人にものを頼める」
と常々話していたという。
また「身体が弱かったことが強み」というようなことも言っている。
自分の身体が弱いから、人に頼まざるを得なくなり、結果的にその人が良い成果を出してくれる。
これは経営者としての話である。
しかしながら、これは学級を運営する立場の教師にとっても、大変有益な考え方である。
同じ発想で、子どもにも対する。
つまり、自分一人の力よりも、子ども集団の方が力がある。
このことをまず認めることである。
また、目の前にいるのは子どもであるが、子どもが大人よりも優れていないという訳ではない。
たまたま、自分の目の前に子どもとしているだけである。
私はよく冗談半分、本気半分で
「目の前にいる子どもは、将来口をきいてもらえないぐらいになる人かもしれない」
と考える。
授業で行き詰まる。
これは、困る。
しかし、子どもたちに委ねると、上手く料理してくれることが結構ある。
教師が必死に掴んで離さないから、子どもは手出しできないだけなのである。
自分が一生懸命やっていると、疲れる。
年齢を重ねると、ますます疲れるようになる。
疲れる割に、子どもには全く力がつかない。
だから、子どもがやれることは、全部子どもに任せる。
子どもは、かなりの運動量を求めても、なかなか疲れない。
多分、子どもが疲れているのは、そういったものとは全然違う別のことである。
(高学年だと「塾疲れ」というのが一番多い。その手のストレスは、友達などの人間関係悪化の連鎖をも引き起こす。
ちなみに、自発の目標をもって主体的に取り組んでいる子どもは別で、塾でどんなに大変でも真っ直ぐでへこたれない。)
授業は、子どもが子ども自身を鍛える場なのである。
教師が自分のためにやる授業では意味がない。
塾や習い事も同じで、親のためではなく、本来は子どもが子ども自身のために取り組んでいるはずである。
教師や親のために子どもが頑張っているというのは、本末転倒である。
大人である自分は、大人であるだけで、別に子どもより偉い訳ではない。
子どもは子ども自身で、自ら伸びる力をもっている。
この自覚をもつことが、教育ではかなり大切である。
0 件のコメント:
コメントを投稿