クラス会議を実践していると、心から思うことがある。
それは、色々な特性の子どもがいた方がいいということである。
リーダーシップがある。
これは、とてもいいことに見える。
だから、みんなに身に付けて欲しいと願いがちである。
違うのである。
先頭に立つタイプのリーダーシップの強い人間が二人以上集まると、対立が起きやすい。
「船頭多くして船山に上る」の諺の通り、一つの集団において先頭に立って引っ張るタイプは、一人でいい。
逆に言うと、そのタイプも一人出てくれないと、色々と困る。
フォロワー型リーダーシップの得意な子どももいる。
全体に意見をふっていきながら、まとめていく。
しかしながら、このタイプは、自己主張をしないために、自己犠牲にもなりやすい。
そこへのフォローを入れてくれる、あまり目立たないが気遣いのできる子どもも必要になる。
突拍子もない変なことを言う子どもがいる。
これがまたいい。
話合いが膠着した時の起爆剤になる。
あまり積極的に発言しない子どもがいる。
しかし、ぽそりとつぶやく発言が鋭いことが結構ある。
また、会議中には発言しないが、決まったことを、やるとなったら黙々とやるタイプもいる。
逆もあって、会議中は勢いがあるのだが、実行となったらあまり動かないというタイプもいる。
本当に色々いた方がいいのである。
自治を目指すクラス会議に至っては、スムーズに決まらないぐらいがちょうどいい。
様々な角度からの視点で見るからこそ、多数の賛成案に対しての問題点も見つかるので、簡単には決まらない。
(一般的な会議は、原案への承認が主な目的だから、基本的にはさっさと決まった方がいいのである。)
ところで、「木配り」という言葉がある。
建築における木材の配置のことである。
木目や癖によって、配置や向き、見せ方が変わる。
様々な特徴の木が組み合わさることで、強い住宅ができる。
法隆寺の棟梁、西岡常一氏の言葉がある。
「木のことは木に聞け」
「木には癖がある、右に捻れる木と左に捻れる木を組み合すのが極意である」
参考H.P.:「宮大工が語る 世界最古の木造建築」
要は、どんな人間同士でも、木と同様、使い方、組み合わせ方次第なのである。
適材適所というが、個々の人間には、必ずその特性が生きる場がある。
特に一見すると組み合わせにくそうな木もある。
これはいわゆる「平均」の値から大きく外れた子どもである。
他と明らかに違って組み合わせにくいように見えるが、実は唯一無二の力をもっている。
しかしながら、扱う側にそれを見抜く目がないと、単なる扱いにくい、よくない木材とみなされる。
私は常々「長所進展、短所無視」が大切だと考えている。
短所克服は、労多くして功少なしということが多い。
(しかしこと受験勉強に関しては、不得意な部分が一番点数の伸びしろがあるので、無視できない面があるのも事実である。)
長所を見出し、伸ばすことが教育の要点である。
その特徴は、どう生きるか。
一見欠点だと思っているところは、無視するか周りのフォローで何とかならないか。
あるいは、実は長所に転じられないか。
これは子ども集団だけでなく、職員集団にもいえる。
色々な特徴のある人が集まっている方が強い。
自分が全然ダメだと思っている人もいるかもしれないが、意外なところでみんな役に立っているものである。
多様性を認め合う。
クラス会議は、その入り口として有効な実践である。
ぜひもっと広まって欲しいと願う。
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