教育は、サービス業か否か。
かなり前から意見が分かれて議論されているところである。
人にプラスの働きかけをするという視点からすると、サービス業である。
しかしながら、あれこれお膳立てするツアーパッケージや、楽しませる遊園地のような場所かというと、これは違う。
学校に限らず、教育という名のつくものの必須条件は、自力でできる力をつけていくことである。
あれこれお世話をしてあげることは、サービスにはなるが、自力はつかない。
だから、保育や介護は、教育とは区別されている訳である。
自力ではできないことを、自力でできるようにさせる。
あるいは、上達させる。
ここが教育に求められている機能である。
自力でできないことを、いつまでもやってあげている。
上達するはずの能力がそのままにされている。
こうなると、教育とはいえない。
別に必ずしも相手を喜ばせなくてはいけないというものではない。
辛いことを辛抱させるのも、楽をとって避けたいことに挑戦させるのも、教育の一つの役割である。
やりたくなくても相手の成長のためにやるべき課題を与えるのも、教育である。
こうなると、やはり通常のサービス業とは大分性質を異にする。
相手が「お客様」であるならば、意に沿わないご機嫌を損ねるようなことはできない。
旅行やレジャーに快適を求めて来ているのに、苦難を与えられたら、次に来なくなってしまう。
しかしながら、それはサービス業だからであって、鍛える要素のある教育の場合、辛いことも避けて通れない。
授業や学校行事が、教員プロデュースのツアーパッケージ化していないか。
子どもがツアー参加のお客様になれば、サービスが悪いと不平不満も出るようになる。
子どもたちを、池の中の鯉のような状態にしていないか。
エサが欲しければ自分で取りに行くことを教えるのである。
他人が与えてくれた一つのエサに、我先と群がるような集団にしてはならない。
池でのんびり暮らすことを教えるのではなく、自由に泳ぎ回る力をこそつける。
教育がサービス業か否かの議論は難しい。
ただ教育は、単なるサービス業とは一線を画す。
短期的・即時的な享楽ではなく、長期的・将来的な幸福を考えてなされるべきことである。
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