2020年7月25日土曜日

ノック型と試合型 

教師が発問をする。
それに子どもが一生懸命答える。
それを周りが聞いている。
また教師が何か返す。
また一人が答える。

このやり方は、野球に例えると、「ノック」に似ている。
コーチが打つのを待つ。
捕るのは常に一人。
9人が一人ずつ捕る間、コーチは9回打つことになる。
最も活動量と時間が多いのは、圧倒的に、コーチである。

野球の練習の場合、これは守備に特化した練習の一部だから、これでいい。
しかし、授業の基本が毎度この方式では、まずい。
そもそも、35人いる学級だと、35回中34回を見ている形になる。
(つまりは、聞く力が最も必要になる。)

そうではなくて、授業は行う方も受ける方も、試合のイメージで臨むべきである。

守備側だとしたら、球が誰に飛んでくるかわからない緊張感。
バッターの打力やランナーの走力に応じて、ポジショニングも考えて常に微調整する。
自分のところに飛んでこなくても、次の、そのまた次をも考えて動く。
仲間がキャッチをミスするかもしれないし、中継にもカバーにも入らないといけない。
守備という一見「受け身」ながら、能動的かつ主体的に動くことが求められる。

授業でも、この姿勢が必要である。
子どもは授業を「受ける」のだが、そこに求められるのは主体性である。

常に自分がゲームの命運を左右しているという意識。
どんな強い球が飛んできても見事に捌いてみせるという気概。
仲間のフォローアップも常に考えている。
チーム全体への自分の貢献を常に考えることで、結果的に自分自身が誰よりも成長していく。
こういう選手が伸びないという可能性を考える方が難しい。

現実は、真逆の様相を呈していないだろうか。

自分は数合わせにいるだけで、勝負に影響はないという完全に受け身の姿勢。
自分のところに球が飛んでくることはないだろうと、ぼーっとしている。
だから、当たり前に捕れるはずの球が飛んで来ても捕れない。
仲間に飛んでいったらラッキー。
ミスしても当然フォローはない。(ひどいとそのミスを馬鹿にしたり罵倒したりする。)
自分だけが良ければいいという考えで、チームへの貢献など頭の片隅にもない。
この選手が伸びる可能性は、まずない。

これが、小学校段階だけでも年間200日近くあって、かつ6年間続くのである。
両者に差がつかない方がおかしい。

教師の立場で言うと、どんな授業をしているかである。
ノック型の授業では、効果は35分の1か子どもによってはそれ以下である。
試合型の授業にしていく必要がある。

子どもの立場で言うと、どんな姿勢で授業を受けているかである。
自分がゲームの命運を左右するという意識で臨んでいない限り、例え教師が試合型の授業をしても、伸びない。

授業は、教師の環境設定と、子ども同士の相互作用によって効果が決まる。
こちらの授業改革も必要だが、同時に子どもの意識改革も必用である。

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