大抵の言葉は、定義が一つではなく多様である。
一つの言葉で何通りも解釈できる。
場合によっては、同じ言葉で真逆の意味にとれるものもある。
美しい抽象的な言葉は特に使用に要注意である。
「優しい」「愛」「平和」などはその代表格で、自己中心的な意味で、強い立場のものに都合よく利用されることの方が多い。
(「あなたのため」も同様である。)
「元気」なども、活動的・活発であるというものと、単に粗暴・粗雑であるという場合が混在している。
さて、「いい加減」という言葉がある。
本来は「丁度いい」「ジャスト」という良い意味合いである。
一方で「だらしない」「必要な分に足りていない」という悪い意味もある。
「いい加減オヤジ」キャラで人気の芸能人がいる。
これは、「人気」なのだから、世間に良い意味で迎えられている。
しかし「テキトー」と表記されることからも、このいい加減には、「だらしない」の方のニュアンスも含まれている。
つまり、悪い意味と思ったら、それもいい意味、という複雑な面もある。
「必要悪」という言葉もあるように、善だけが歓迎されるという訳ではないのが真理である。
あまりかっちり四角四面な感じよりも、少しだらしない方が歓迎されるという面も多分にある。
学級経営も、この「いい加減」には考えるべきところがある。
これはいい意味で「丁度いい」頃合いをとれるかどうか、バランスが問われる。
規則ガチガチでも無法地帯状態でもどちらも良くない。
「いい加減」=「丁度いい」具合が求められる。
「荒れる」学級は、どちらかにふれている。
ガチガチすぎて、指導者のもとでのみ正しさが保たれるが、陰では乱れ放題になるパターン。
ルールも何もなくて、声の大きいものが幅を利かせて「自由」を叫び、弱肉強食が通っているパターン。
両者とも、担任は学級が「うまくいってる」と思ってしまっていることがあるのが、病理が何十年でも続く最大の原因である。
「いい加減」の学級は、どう作れるか。
一つのヒントは、流動性である。
船の底には、「バラスト水」と呼ばれる大量の海水が入っている。
その水を出したり入れたりして、バランスを保つ。
空っぽでは転覆するし、多すぎると沈む。
海の状態、荷物の状態によって、臨機応変に海水を出し入れする。
水は、流動的である。
海水だから、量も自在である。
つまり、動きながら変えられるということ。
とりあえずのものを決めて、必要に応じて変化させていく。
つまり、はっきり決まっておらず「いい加減」をキープしていくことになる。
「誰でもどこでもうまくいく」方法がない所以である。
「いい加減」の妙。
学級経営に難しさと面白さがあるのは、この辺りが理由である。
2020年7月21日火曜日
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