赤坂真二先生からの学び。
温かくしつけるということについて。
しつけるというと、厳しいイメージがある。
厳しいの対義語は甘い。
しつけが甘くては意味がない。
となると、やはりしつけは厳しくするものといえる。
しかし、厳しいと冷たいを混同しがちでないか。
二つは別の次元である。
冷たいの対義語は温かい。
冷たいしつけになってないか。
温かいしつけになっているか。
厳しくも温かいしつけは存在する。
しかし、厳しく冷たいしつけが多くなっていないか。
二つはどう違うのか、冒頭の言葉を聞いて考えてみた。
電車で騒いで動きまわってる2、3歳ぐらいの子どもがいる。
スマホをいじりながら
「じっとしてろって言ってんだろ」
と睨む母親。
抱き寄せてじっと目をみて
「電車では騒がないのよ」
と、穏やかに、かつぴしりと諭す母親。
言ってること自体はあまり変わらない。
しかし、明らかに効果は変わる。
子どもの思考の働きが全く異なる。
前者は、本能的な恐怖によるしつけである。
怒られる恐怖による統制。
思考の働きは不要である。
後者は、理解と愛情によるしつけである。
なぜそう言われるのか、考える余地もある。
また、動機も温かと冷たさに関わる。
子どものためを思っているのか。
単に、自分が周りの目を気にしているのか。
学級でもそのまま適用できる話である。
教師のための学級経営は冷たい。
教師の見栄ための公開授業も冷たい。
子どものためと言葉で偽り、自分の出世の道具にしているのは最も冷たく、汚い。
しつけは「躾」と書く。
身を美しくするものである。
生き方を美しくするものといえる。
子どもの人生を思ってなされるものである。
それは、冷たいか、温かいか。
言動一つ一つに対し、時々自省していきたい。
2018年9月4日火曜日
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